「さあ、趣味をするぞ」を意識する人がいます。
「私の趣味は○○です」と声高に言う人がいます。
「趣味」という意識があるなら、まだ完全に習慣化されていません。
正真正銘の趣味というのは、意外なことに「趣味」という意識はありません。
「私の趣味は○○です」というセリフも言いません。
実際は趣味なのですが、本人は趣味という意識がありません。
完全に趣味になると「生活の一部」になるからです。
「うがい」「洗顔」「入浴」といった行為を私たちは趣味とは言いませんが、それと同じです。
日頃からよくやっていること、毎日当たり前にやっていることは、意識を向けることがなくなるので、趣味と言わなくなります。
趣味という言葉を使うことに違和感すら覚えます。
趣味をしていても、自分では普通のことをしている感覚になる。
勝手に体が動いていて、気づいてたらやっているという状態です。
当たり前の日常になり、もはや息をするのと同じような感覚になります。
「趣味は何ですか」と聞かれたり、履歴書で趣味の欄を書いたりするとき、あらためて自分の生活を振り返ります。
「私の趣味は何だろう? そういえばよく映画を見ているなあ。そうか、私の趣味は映画鑑賞なんだ!」といった具合です。
問われてから、はっと気づきます。
自分でもそれが趣味だったということに驚くのです。
趣味という意識がないのは良いことです。
意識しないくらい、完全に習慣化されているということ。
それだけ生活の一部になっている、当たり前の日常になっているという証明です。
趣味という意識がないくらい、当たり前の日常にすることが素晴らしいのです。