すべての人には、必ず才能が与えられています。
「またまたそんな大げさなことを」
いいえ、大げさではありません。
事実として、あるのです。
咲かない花などないように、才能のない人間も存在しません。
才能といえば、大それた大げさな表現に聞こえるかもしれませんが「なるべき姿になることが才能」と思ってください。
なるべき姿になったとき、その人らしい仕事や生き方が、できるようになります。
わかりやすい例をあげましょう。
3種類のタネがあります。
どれも見た目はそっくりであり、米粒くらいの小さなタネです。
一見しただけでは、何のタネなのかわかりません。
どれも似たり寄ったりの姿形です。
しかし、水を与え、日光を与えると、芽を出して成長し始めます。
どんどんと大きくなり、それぞれのタネが「なるべき姿」になろうと、成長します。
あるタネは、バラの花になります。
あるタネは、桜になります。
あるタネは、アサガオになります。
初めはどれも同じようなタネでしたが、成長により、それぞれのなるべき姿形になったのです。
そのタネらしい生き方ができ、そのタネにしかできない仕事ができるのです。
人間も、これと同じです。
生まれたばかりの赤ちゃんは、みなどれも一緒です。
私もあなたも、生まれたばかりのときには、裸1つ。
同じような姿で生まれてきました。
しかし、花のタネと同じように、生まれたばかりは一緒でも、内在的に「なるべき姿」があらかじめ植え付けられています。
タネの状態では、なかなかわかりません。
しかし、成長するにつれ、そのなるべき姿になっていくことを「才能を発揮する」といいます。
自然の流れに従うことです。
自然の流れに従うとき、努力、根性、頑張りは、不自然なことです。
バラの花は、バラの花になることに努力も頑張りも必要としていません。
桜は桜の花になるために、努力も頑張りも不要です。
そのほかの花も、みな同じです。
自然とそうなってしまうのです。
ありのまま、自然に育ったから、それぞれの「なるべき姿」へとなることができたのです。
頑張っていることは、不自然です。
タネは、ありのままの成長を遂げただけです。
ありのまま、自然の成長を遂げるときに、努力も頑張りも不要です。
これが、自然の法則です。
花の世界ではたやすいことですが、人間の世界では「自然」にできていない人がたくさんいます。
衝撃的なことを言います。
あなたが今、頑張ってしていることは、本当のあなたの才能ではありません。
間違った道へ進んでいます。
申し訳ございませんが、今すぐやめましょう。
頑張ってしていることは、不自然だからです。
宇宙の理に反しています。
花は、自然の力に任せて成長しているから、それぞれが「らしい姿」「なるべき姿」へとなることができました。
自然の力に任せて成長するとき、努力も頑張りも必要ないという自然な状態になります。
あらかじめ、そういうタネなのですから、そうなるだけでいいのです。
バラの花は、頑張ってバラの花になっているのではありません。
自然の力に任せているだけです。
ありのままの姿になっているだけです。
もし、バラの花がヒマワリになろうと頑張っても、ヒマワリになることはできません。
努力によっては、似せた成長はできるかもしれませんが、いずれにせよ本来進むべき道ではありません。
不自然な状態であり、不完全に終わってしまいます。
あなたが今、頑張ってやっていることは、本当にあなたがするべきことではないのです。
本当のあなたは、頑張らなくてもできることです。
才能は、頑張らなくてもできることです。
バラの花がバラの花になるために、頑張っているでしょうか。
ヒマワリの花が、ヒマワリの花になるために、頑張っているでしょうか。
いいえ、ありのままの自然な状態で育っていますよね。
ありのままの自分を発揮するとき、もはや努力も、頑張りも、必要ないのです。
頑張らないとできないことは「それはあなたが進むべき道ではない。なるべき姿ではない」という神様からの警告です。
自然の流れ、宇宙の理に反しているから、なかなかうまくいかないのです。
努力をしないとできないことは、不自然なことです。
頑張るということも、不自然なことです。
自然に反した生き方では、才能が発揮できないのです。
あなたには、本来なるべきタネがすでに備わっています。
才能というタネがあります。
そのタネを成長させるためには、努力も頑張りもしないことです。
花のように自然に生きるのです。
あなたが頑張らなくてもできることが自然な成長であり、才能へとつながる道なのです。
私には「執筆」という才能が与えられているようです。
私もあなたと同じように生まれてきたときには、普通の赤ん坊でした。
私の両親は、私をありのまま自然に育ててくれました。
好きなことを、好きなだけさせてくれました。
そのおかげで、自然に自分らしく生きることができるようになり、自分には執筆が合っているなということに気づき始めました。
好きなことばかりやっていたおかげで、その才能がぐんぐん伸びました。
また人生について考える性分も、私に初めから備わっていたことです。
頑張らなくてもできてしまいます。
それが当たり前で、むしろそうしている時間が大変心地よく感じます。
ありのままの自分を出して、才能を発揮しているのです。
私は単純に「これ、いいな」「もっとこれをやりたいな」という自然な気持ちに、身を任せて生きているだけです。
それだけで「なるべき姿」になっていったのです。