厳しさには、2種類あります。
「愛のある厳しさ」と「愛のない厳しさ」です。
世の中には「厳しい指導者」と呼ばれる人がいます。
厳しい先生、厳しい上司、厳しい監督。
「鬼教師」「鬼上司」「スパルタ監督」といった言葉があるように、教育の世界では厳しく指導する人がいます。
厳しい指導者は、スパルタ教育が基本です。
難しい課題やトレーニングメニューを要求してきます。
言葉遣いが荒かったり、鬼のような表情を見せてきたりなど、接し方も荒々しい。
厳しい指導者は往々にして、嫌われやすい運命にあります。
あなたの身近にも、厳しい指導者と呼べる人がいるかもしれません。
もちろん行き過ぎた指導はNGです。
自分の感情をぶつけるだけの厳しさは、指導というより、もはやいじめです。
これこそいわゆる「愛のない厳しさ」というもの。
「虐待」「パワハラ」という文字が報道を騒がせて久しい昨今です。
スパルタ教師や鬼監督の行き過ぎた指導が問題になり、ニュースで報道されたり、新聞の紙面を賑わせたりすることもあります。
今の時代、厳しく指導するいけない風潮が強くなっています。
指導とはいえ、あまりにひどいケースでは問題となります。
では、スパルタ教師・鬼監督がすべて悪いかというと、そうではないのです。
厳しさは、すべて否定するものではありません。
大切なのは、厳しさの中に「愛」があるかです。
「厳しいから嫌」と考えるのは早計です。
厳しさの中に愛があるなら、受け入れることも大切です。
しっかり成長してほしいという、指導者の願いがあります。
しっかり成長してほしいから、厳しく接しています。
指導者も、厳しく接すれば、自分が嫌われることくらい重々承知です。
自分が嫌われるリスクを背負いながら、部下や生徒の成長のために指導しています。
これが「愛のある厳しさ」です。
この理解があれば、感謝の気持ちも湧いてきます。
「愛があるのはわかっていても、厳しいのは嫌。感謝できない」と思うこともあるでしょう。
それでもいいのです。
人間ですから好悪の感情はあります。
磁石のN極同士・S極同士のように、反発し合う関係もあって当然です。
厳しい指導者はことあるごとにストレスを与えてくるので、今すぐ感謝の気持ちを持つのは難しいかもしれません。
ただし、厳しさの中に愛があるなら、一生感謝できないまま終わることはありません。
今は感謝できなくても、いずれ感謝できる日がやってきます。
感謝できないのは、今は嫌悪感が強くて、感謝する余裕が持てないからです。
厳しさのほうが目立って、感謝をするどころではないだけです。
離ればなれになったり、自分が大きく成長したりすると、感じ方が変わります。
「あのときは嫌いで仕方なかったけど、こういうところは感謝できるよね」と思えるのです。
学生時代のころを思い出してください。
厳しい先生がいて、当時は嫌な感情ばかりでしたが、卒業してしばらくたつと感じ方が変わります。
「あの先生は厳しかったけど良かったな。あの厳しさは愛情だったんだね」と思えるようになり、感謝の気持ちが湧くのです。
卒業して思い出せるのは、優しい先生より厳しい先生です。
それと同じことが、社会になってからもたくさん起こります。
厳しい上司や先輩がいても、退職や転職で離れてしばらくたつと、嫌いな感情が薄れます。
そして「あの人のおかげで」と思えるようになります。
感謝の気持ちがこみ上げてきて、また会いたくなるのです。
当時は自分が未熟だったため、厳しさの意味を理解できなかっただけでした。
厳しい人には、すぐ感謝の気持ちを持てなくてかまいません。
しばらく時がたつのを待ちましょう。
自分が成長するのを待ちましょう。
いずれ感謝できる日がやってきます。