中学生のころ、同じクラスに久美ちゃんという女の子がいました。
久美ちゃんは、クラスで最も成績のいい学生の1人でした。
席替えをしたとき、ちょうど私の隣の席に座ることになりました。
ある日、久美ちゃんはテストで、また100点に近い点を取りました。
すごいなあと思って、テストを見せてもらって驚きあきれました。
あまりの字の汚さです。
字が汚いです。
久美ちゃんは丸顔で、くり色のさらさらロングヘアで、かわいい顔をしています。
かわいい顔をしているのに字は汚い、というギャップがあまりに印象的で、度肝を抜かれました。
ただし、汚い字ではありますが、読める文字にはなっています。
汚い字だけど、きちんと問題に正解していて、丸印ばかりが並んでいます。
はっとしました。
久美ちゃんの頭の良さを、発見しました。
回答を書いている時間の「短さ」です。
書いている時間なんて、人によってそれほど大差ないと思います。
しかし、思うだけで実は大差があります。
たとえば「おはようございます」という一文を書くだけでも、5秒で書ける人もいれば、20秒かけて書く人もいます。
この違いは大きいですね。
では、なぜこれほど書く時間に差ができるのでしょうか。
それは「きれいな字を書くことに神経質になりすぎているから」です。
私は当時きれいな字を書こうと神経質になっていました。
きれいな字を書けば、採点者の印象がよくなり、なんとなく点も上がるような気がしたからです。
これがいけなかった。
もちろんきれいな字を否定しているわけではありません。
見栄えもいいし、採点者の心証もよくなるでしょう。
しかし、きれいな字を書こうと神経質になりすぎていると、時間を取られます。
勉強時間が長いにもかかわらず、進んでいないということになります。
書道は、きれいな字を書こうとするため、1文字書くのに時間がかかります。
指に余分な力が入るため手は疲れやすくなりますし、時間もかかります。
きれいな字をあまりに意識しすぎていると、テストの回答もゆっくりになり、時間を取られすぎてしまいます。
書くのに時間をかけすぎて、タイムオーバーということもあります。
頭のいい人は、じっくり問題を考えた後、回答をさっと書きます。
もちろん最低限「読める字」を書く必要はありますが、きれいすぎる必要はありません。
「時間をかけてきれいな字を書く」のではなく「素早く読める字を書くこと」が大切です。
「読める字」になっていれば、字が汚くても必ず正解になります。
しかし、きれいな字でも、間違った回答なら、バツになるのです。