世間では「不純な動機で始めるのはよくない」という声が聞かれます。
「不純な動機で始めたところで長続きしない」
「少しでも嫌なことがあると、すぐ逃げ出すに決まっている」
「どうせ弱音を吐いて、すぐやめてしまうだろう」
「不純な動機では、厳しい練習に耐えられない」
「何事も純粋な動機で始めるべきだ」
不純な動機は、世間的にも社会的にも不評です。
純粋な動機で始めたほうが、世間的にも社会的にも「いいね」「立派」「素晴らしい」と認められるでしょう。
しかし、ここが注意ポイントです。
実際は不純な動機で始めてもいいのです。
「不純な動機で始めてはいけない」というルールなんてありません。
世間の勝手なルールによって、自分の行動を制限しないことです。
最初は不純な動機であってもいい。
後から純粋な動機になればいいからです。
たとえば「モテたい」という理由で音楽活動を始めたとします。
本来であれば「自己表現をしたい」「興味が湧いた」といった純粋な動機がベストですが、不純な動機で始めることがあります。
本当は音楽を楽しみたいのではなく「モテたい」という下心から音楽を始める人もいるでしょう。
ところが最初はモテたいつもりで始めた音楽であっても、後から音楽活動に愛着や思い入れが出てくるのはよくあることです。
音楽を知れば知るほど面白さが理解でき、楽しくなって、夢中になる。
気づくと、いつも音楽活動のことを考えるようになっていて、人生の一部になっている。
すっかり音楽にはまってしまい「モテる」という動機を忘れます。
後から「自己表現をしたい」「素直に音楽が楽しい」「音楽を愛している」という動機に変わればいいのです。
意外と不純な動機のほうが、長続きすることも少なくありません。
最初の動機は、あくまで最初の動機にすぎません。
実際に始めてみると、楽しさや面白さに気づいたり意外な発見があったりして動機が変わっていきます。
周りから「不純な動機はいけない」と言われるかもしれませんが、無視することです。
「不純な動機で始めてはいけない」というアドバイスなんて大きなお世話です。
「不純な動機ではいけない」と言いつつ何もしない人のほうが、はるかに消極的であり、大きな機会損失です。
何が自分に合うかわかりません。
わからないから、いろいろやってみるのです。
始めるときは、不純な動機でもかまいません。
もちろん三日坊主でもOKです。
途中でやめたとしても「自分に合わなかった」ということがわかるので、それはそれで収穫があります;
不純な動機でもいいので、まず具体的に動いてみること。
積極的に何かを始めることは、積極的に人生を生きることになります。
不純な動機に後ろめたい気持ちを持つ必要はなく、堂々とすることができます。
最初は不純な動機であっても、後から純粋な動機になればいいのです。