痛みを感じると、人間の底力がむくむく出てくるようになります。
痛みから回避しようとする底力です。
人間は、痛みから回避することとなると、考えられないような力を発揮します。
知恵を絞り、仲間と協力して、少々の運動も、ものともしません。
痛みは、生存に関わることです。
命に関わることとなると、命を懸けて、本気で考えるようになります。
私は学生時代、お金を水のように使っていました。
「親のお金だから」という、甘い考えがあったのです。
自分で働いて稼いだお金ではないため、親からもらったお小遣いを軽く使っていました。
苦労したのは、社会に出てからです。
痛みがわかりませんから、いつの間にかお金が消えてなくなっています。
なくなるのですから、どこかで使っているのでしょうが、どこかよくわからないのです。
よくわからないまま、お金だけはどんどん減っていきました。
この驚きは強烈です。
お金が不思議なことに消えていくのですから、泥棒がとっていったのかと思うほどでした。
しかし、実際は、泥棒が入ったわけではなく、財布を落としたわけでもなく、ただ金銭感覚がなかっただけでした。
お金を使うときに痛みがないから、いつの間にかお金を使っていたのでした。
金銭感覚のない私はいつの間にか、お金が流れ出ていたのでした。
買い物をするときにも、深く考えることなく「欲しい」という感情的な理由で次々と購入します。
だからお金が貯まりません。
むしろ、減っていく一方です。
金銭感覚が薄いため、お金1円の重要さ、痛みがわからないのです。
お金を使うことは、痛みを感じることです。
1円使えば、1円の痛みがあります。
100円使えば、100円の痛みがあります。
「痛い! 痛い!」
お金を使うことに痛みを感じるようになれば、感覚が養われてきたということです。
お金の痛みを知るようになると、さて、どうなるでしょうか。
お金を使うほど痛いから、だんだんお金を使わなくなるようになるのです。
お金を使う量が少なければ、それだけ痛みも小さくてすみます。
お金に痛みを感じることができるようになれば、お金をできるだけ使わずに、商品を購入する方法を真剣に考え始めるでしょう。
痛いのは、誰でも嫌だからです。
人間は、苦しみから回避するためには、大きなパワーを発揮します。
生存や安全を確保しようとするのは、人の基本的な欲求です。
命に関わることとなると、本気で知恵を振り絞り、真剣になって考えるようになるのです。
社会に出た私は、一人暮らしだったため、お金は急激に減っていきました。
しかし、幸いにも、自分のお金で生活をするという暮らしをしていたため、お金の感覚が感じられるようになったのです。
自分で苦労をして稼いだお金で、完全に1人で生活をすることです。
親からもらったお金100万円も、残り20万を切ったところで、ようやく感覚が感じられるようになりました。
社会人1年目のことでした。