長く生きれば生きるほど、認めたくはないが、認めざるを得ない事実に気づきます。
それが何かというと「厳しい人生のほうが、実は良い人生につながっていく」ということです。
毎日が平凡で波のない生活より、会社の上司に叱られたり、親に怒鳴られたりしたほうが、自分のためになります。
つらい人生のほうが、実は良い人生へとつながっていくという、認めたくない事実に気づいてしまいます。
年を取るごとに、気づいてしまうことです。
私の親は、昔からしつけには厳しい人でした。
食事中は、大きな音を立てて食べないこと。
お礼や感謝は、必ず言うこと。
ガムを噛むときには、口を開けて噛まないこと。
こうしたことをはじめ、毎日怒鳴られたり叱られたりしたものです。
幸か不幸か、会社では性格の悪い上司によく当たることが多かったものです。
よく指導されたり、叱られたりしました。
叱られたり怒鳴られたりすると、落ち込んだり、時には憎しみが湧き出てきたりします。
そのときは恨んでも、時間が経って後から考え直すと「お説教」は、実によい「教え」になっていたことに気づくのです。
叱られるほどですから、私の悪いところをわざわざ時間をかけて指摘して、大きな声で怒鳴ります。
私にとっても忘れられないほど脳裏に焼き付きます。
「大切なことをしっかり教えてもらえた」
言葉の意味がわかると「叱られることも悪いことではない」と思えてきます。
叱られることが多いほど大切なことに気づかせてもらえ、私の生活でも役立つ知恵になります。
こうしたことは、長く人生を歩めば歩むほど、どの場所でも誰からでも共通して起こります。
過去を振り返れば叱られた経験のほうがたくさん思い出せます。
叱られるという衝撃が強く脳裏に焼き付き、忘れられないほどの刺激になっているからです。
しかし、一方で、そんな叱られた経験ほど大切な「教え」になっていることを認めざるを得ません。
昔は恨んだ人も、今では感謝をしてしまうという180度がらりと変わった評価に、自分でも驚きを隠せません。
まとめて言えば「厳しい人生のほうが、実は良い人生につながっていく」と言えるのです。
厳しい困難をたくさん経験した人のほうが、たくさんの知恵を身につけているため、後に良い人生を送ることができているのです。
私は20歳のときに彼女に振られる、という大変苦々しい思い出があります。
しかし、そのときの経験は、後に付き合った女性との関係に役立ちました。
過去の失敗が、貴重な教えになっているのです。
不思議な話ですが、涙を流したようなつらい経験ほど、自分を支えてくれているのです。
なぜあのときそうなったのかと考えると、自分の悪いところが見えてきます。
「同じ失敗は二度と繰り返したくない」
心から、そう思うのです。
厳しくつらい経験が、あなたを変えてくれます。
歯を食いしばってしまうくらいつらく厳しい経験があるほうが、そのときは大変なことでも、後から必ず役立ってくれるのです。