自分があえて努力をしなくても、結果としてすでに長続きしていることは、それそのものがもはや才能です。
長続きをしているということは、自分が好き好んでいるからこそ続いているという本物の証拠です。
小さいころから長続きしていることは、大人になるにつれ、能力が上がります。
東京大学の合格生に「勉強をつい最近始めました」という人はいません。
中には高校から集中して勉強をした猛者もいますが、ほとんどの人が幼いころから勉強を楽しんでやっています。
それはもはや勉強を勉強と感じていないということであり、むしろ遊んで楽しんでいる感覚なのです。
もっと楽しみを追求するために勉強をし、楽しくなったからもっと勉強をする。
はたまた競争による適度なストレスもよい刺激と感じてしまい、楽しみを追求した結果、頭がよくなったわけなのです。
長く続いていることというのは、楽しくなければ続きません。
嫌いなことを誰が好き好んで続けようと思うでしょうか。
誰でも嫌いなことは、続けるどころか「やめてしまいたい!」と強く願い、実際にそうします。
楽しくて長続きしていれば、何でも才能と呼べるほどになってしまうのです。
私は高校1年のころは体操部でした。
自分と同じ学年に白石君という、すでにインターハイで十分に勝負ができるほどの実力の持ち主がいました。
白石君に「なぜそんなにうまいの」と聞くと、単純な答えが返ってきました。
「小さいころからずっとやっているから」
「ただやり始めた時期が、ほかの人より早いだけ」
白石君は小さいころに体操に出会い、楽しいからずっとやっていて、結果としていつの間にかうまくなったと言うのです。
「楽しくて長く続けていれば、誰でも必ずうまくなるよ。早い時期に体操と出会えたことに感謝している」
楽しい気持ちが原動力に、小さなころから「続けること」ができたため、いつしか才能と呼べるほどの実力へと変貌していたのです。
これらは、今のあなたにも言えることです。
小さいころから始め、いまだに続けられていることは、自分に合っていることであり、実力も身についています。
かっこ悪くても、他人から評価されないことでも、好きで長続きしているということは、才能であるということなのです。