「must」と考えていることには、本当の才能は存在しないと思ってください。
「must」と考えることには「本当にやりたい」という気持ちはなく、むしろ半強制的な雰囲気があります。
ある行動に対して、自然と「must」と考えてしまうようなら、嫌な心持ちが混ざっているということです。
「must」という表現を、別に言い換えると「仕方なくやる」「とりあえずやる」と言えます。
自分がやりたいわけではないが、頼まれていることなので「仕方なくやる」。
命令されていることだから「とりあえずやる」。
こうした消極的な意識がうっすら見えます。
あなたの生活を振り返ってみると、たくさんの「must」があることに気づきます。
学校に行かなければならない、仕事をしなければならない、勉強をしなければならない、などです。
自分の「must」と付く行動を見つけると、いかに自分の本心から行動できていないかがわかってくるのです。
私は以前「読書はするべきだ」と考えていました。
読書をしなければならないという半強制的な「読むべきだ」という意識になっていた。
「本を読んでいないのは悪いこと。本を読むのはよいこと」というふうに、読むことが目的となっていました。
そのため伸び伸びと読書をすることができず、ただたくさんの本の量をこなすことそのものが目的となっていた。
得た知識より読んだ量を常に意識してしまい、本当に心から楽しんでいる状態とは言えませんでした。
このおかしな事実に気づき、私はあるときから本をどのくらい読むのかという「量」は、意識しないことにしました。
たくさん読むことがいけないことだと言っているのではありません。
「must」と意識してしまい、本来楽しむべき読書が強制的になってしまうことがいけないと言っているのです。
それからというもの、量は減りましたが、本によって得られる内容に気を集中させることができるようになりました。
「must」と考えると、無理やり自分に鞭を打ち、前に出ることができます。
そうは言っても自分から積極的に前に出る純粋な気持ちではないため、身につく度合いには大きな差が出るのです。