私は自分が好きだと思うことは、難しくても楽しいと感じます。
難しいからこそ、やりがいがあります。
わからないところがあると、嬉しくて仕方ないのです。
昔からパソコンが好きで、中学生のころには「BASIC」というプログラミング言語を使って、ゲームを作っていました。
もちろん最初はわからないことだらけでした。
しかし、何度もトライ&エラーを繰り返し、プログラミングの特徴やコツを身につけていきました。
自分の思うように動いてくれるプログラミング言語は、大変興味深いものでした。
たった1本の線を引くプログラムがあるとします。
一度プログラムを書き上げれば、何度でも素早く正確に再現してくれます。
疲れない、早い、正確。
こうした要素に未来の希望を感じ、指示のとおりに動く「プログラミング」というものに強い感動を覚えました。
当時は夢中になっていました。
城のあるじになったかのように、言うことを何でも聞いてくれるプログラミング言語は、まさに最高の道具でした。
よくゲームを作っていると、どうプログラムを組み立てていけばいいのかわからない部分が出てきます。
そんな難しいところが出てきてもつまらないとは思わず、不思議と楽しいと思ってしまっていました。
「すでに出来上がっている事例があるからには、何か方法があるはずだ」
発見や創造を繰り返していくことが楽しくて仕方ありませんでした。
趣味を深く掘り下げることほど、有意義な時間はありません。
今ではその延長で、IT関係の仕事につき、自分のウェブサイトも作るようになりました。
また、幼いころから哲学的なことを考えることが好きでしたから、その蓄積を知恵として文章にしています。
コンピューターの能力と執筆能力を同時に発揮できるような生活スタイルを作ることで、楽しみが2倍になっている感覚です。
「難しくても楽しい」、そう思えることが、あなたにもないでしょうか。
それはあなたが心から本当に楽しんでいるという、一種の才能なのです。
本来なら、難しいところが出てくると嫌な気分になりやめたくなってしまうところです。
それでも楽しいと感じてしまうのは、自分の才能を見分けるよいポイントになるのです。