才能という響きがあるからと言って、世界で一番の実力を持っていなければならないと思っていませんか。
他人より優れた能力がないと、才能と呼べないと思い込んでいませんか。
たしかに世の中には、ナンバーワンの能力という意味で才能を発揮している人がいます。
エジソンやアインシュタインをはじめとする有名な発明家や科学者たちは、直感や発想が鋭くて、優秀な頭脳を持った秀才たちです。
しかし、すべてがその限りではありません。
どこにでもいるような平凡な人でも、才能として生かしている人たちがいます。
たとえば、本屋で並んでいる本を思い出しましょう。
夏目漱石、芥川龍之介、宮沢賢治をはじめとする優秀な文豪がいる中で、一般人が書いた本を見かけることがあります。
自分の経験を本にしたり、趣味を生かして本を書いたりしています。
文章そのものは、崇高で研ぎ澄まされているわけではありません。
誰にでも書ける、ごく普通の文章なのです。
しかし、優秀な人たちとは違い、なぜ一般の人たちが本を出版するまでに至ったかというと、一番の理由は行動したからです。
どんなに素晴らしい才能があっても、使わなければ意味がありません。
使って、初めて結果が出ます。
にもかかわらず、できる人は努力しなくてもできますから、実際にやらないことが多いのです。
そのため、実際に実力を持っている人より、劣っている人たちがスポットライトを浴びるという現象がよく起こるのです。
私はときどきお客さまからのお便りで「こんな文書を書くなんてすごいですね」と言われてしまうことがあります。
嬉しいのですが、少し違和感があります。
これくらいの文章なら、書ける人はたくさんいるからです。
世の中には、もっと上手に文章を書く人は大勢います。
私より詳しい専門家もいれば、はるかに人を引き付けられるような文章を書ける文学家もいます。
では、何が評価されているのでしょうか。
「何かを作って公開し、広く活用されたこと」にあるのです。
より多くの人に読まれ、生活の中に生かしていただければ、より評価は高まります。
一流の書き手である必要はありません。
実際のところ、この程度の文章なら、書ける人は大勢います。
しかし、実力のある「書ける人たち」は、簡単に書けてしまうため、やりがいを感じにくく、頭の中で話を終わらせてしまいます。
できることが平凡であり、すごいことだという認識が薄いため、つまらないと感じて、実際の行動に移すという段階までいきません。
そのため実力のない人たちが実際の行動に出て、本当に実力のある人を抜いて、前に出てしまうことがあるのです。
科学の世界でも本当に実力のある人は、当たり前でつまらなく、面白くないため、行動せずに頭の中で完結させてしまいます。
そのため、実力のない人が後から抜いてしまい、スポットライトを浴びてしまう状況があります。
本当に評価されるのは、もはや実力ではないのです。
「行動力」です。
自分ができることを公開し、できるかぎり大勢の人に見てもらったり使ってもらったりすることに、本当の意味があります。
それこそが「本当に才能を生かすこと」です。