成績のいい友人を羨ましがり、成績が悪くなるよう、邪魔をしようとする人がいました。
自分より成績がいいので、しゃくに障るのでしょう。
成績の善しあしで順番が決まってしまうのは、人としての価値を決めているようです。
もちろん決してそういうことはありません。
ただ、成績が数字として表現されて差ができることは、テストのいいところでもあり、悪いところでもあります。
学生時代に実際にあった話ですが、他人を蹴落とそうとする人ほど、成績は悪くなる光景を、何度も目にしてきました。
蹴落とす人の成績がよくなったというところを見たことがありません。
それどころか、他人を蹴落とそうと一生懸命になる人ほど、その人の成績は下がっていきました。
これには、きちんとした理由があります。
貴重な勉強に向けるパワーを、蹴落とすために使っているため、肝心の勉強のときに力不足になってしまうからです。
人を羨ましがったり、蹴落としたり、恨んだりするマイナスのパワーは、思ったより膨大なエネルギーを消費します。
他人の不幸のためにエネルギーを使うくらいなら、まず自分の勉強のために使うのが一番です。
一方、逆のパターンもよく目にしました。
人の成績が上がったことを喜ぶ人は、なぜかその人の成績も上がるという現象です。
これにもきちんとした理由があります。
成績が上がったことを喜べば、その人と仲良くなり、人間関係が向上します。
お互いに情報を交換し合って、助け合えます。
成績が上がったくらいですから、自分が知らなかったことやわからないことを教えてくれる可能性は十分に考えられます。
一段と勉強がはかどるようになります。
人間関係もよくなり、成績も上がるという二重の喜びがあります。
喜びがあれば、勉強も楽しくなります。
誰かの不幸を祈る勉強より、誰かの幸せを喜ぶ勉強が長続きして、成績も上がるのです。