得意なことや才能を磨いていると、自分はある目的を持ってこの世にいるのではないかと思うようになってくることでしょう。
過去を振り返れば似ている経験が不自然に集まっていて、何かの意味があり起こるべくして起こったのではないのかと思うのです。
自分の才能が磨かれ輝くほど、単なる偶然ではなく、起こるべくして起こったことであることに気づきます。
私はこのように文章を書いていますが、こうなれたのも過去につらい経験や失敗、出会いや別れ、私の考え癖があったからです。
初めは単なる偶然でそうなっていたのかと思っていました。
またつらい経験に自分の人生を恨んだり「なぜ自分に限ってつらい目に遭わないといけないんだろう」と思ったりもしました。
しかし、自分のやるべきことを突き詰めると「何かの目的を達成するために用意されていた出来事」と感じるようになるのです。
子どものころに叱られたことは大切なことに気づき、今、文章を書くための経験として与えられたのではないかと思います。
つらい別れや人とのトラブル、すれ違いなど、文章を書くために、経験として与えられ、大切さに気づくことができています。
ある目的を達成するためにこの世に生かされていると気づいたとき、その「ある目的」とは「使命」と呼ばれるようになります。
まさにその字のとおり「使わされた命」です。
この世に誕生できたのは、単なる種の保存だけが目的なのではなく、それ以外のほかの目的もあわせてこの世にやってきたのです。
この世には、才能と言われる多種多様なジャンルがあります。
スケートが上手な人がいれば絵が上手な人もいます。
編み物が好きで得意な人もいれば、研究することが得意な人、発明することが好きな人もいます。
しかし、そんな才能も、共通していることは「人に感動を与え、喜びを与えること」にあるのです。
どんな才能であろうと、その結果向かうところは幸せと喜びです。
人が何のために生まれ、生きているのかというと幸せと喜びという使命を全うするために生きているのです。
人々の生活が豊かになるのは、物質的な物が増えることではなく、精神的豊かさに満ちあふれたときです。
物が揃った生活でも嫌いな人との生活は地獄である反面、物はなくても好きな人との生活ができれば幸せにつながります。
最終的に人間が幸せと感じるのは、物ではなく心であり、その心が精神的豊かさにつながるのです。
才能を磨き、いずれ人に喜びを与えていくことが、すべての才能に共通しています。
人も含めた生き物すべてが幸せになり、喜びに満ちあふれることを目的として存在しています。
「この世の仕組み」には、今までの出来事に1つも無駄はなく、人生においても1つも無駄がないと気づきます。
自分も他人も含めた全体が幸せになるように才能を生かすことがポイントです。