褒められることと叱られること。
「どちらがいいか」と聞けば、誰もが「褒められること」を選ぶでしょう。
褒められるのは誰にとっても嬉しいこと。
自分の存在価値が認められると、自尊心と承認欲求が満たされ、満足できるでしょう。
褒められると自信がつき、自己肯定感も高まります。
「もっと頑張ろう」とやる気も出て、生きる元気が湧いてきます。
一方、叱られるのは誰でも嫌でしょう。
厳しい言葉を言われると、暗い気持ちになります。
ストレスを感じて、悲しくなったり落ち込んだりします。
自信に傷がつくだけでなく、心に傷ができることもあります。
あまり言葉が厳しいと、叱ってくる人を恨んでしまうこともあるでしょう。
たしかに「快・不快」で考えるなら、褒められるほうが嬉しいですが、別の見方も忘れないでください。
視点を変えて「貴重」という点で考えてみましょう。
貴重の度合いで考えると、実は褒められるより叱られるほうが圧倒的に貴重です。
褒められるのは大人になってもありますが、叱られるのは大人になるほど減っていきます。
年齢を重ねるにつれて、自分より年上が少なくなります。
社会経験が長くなるにつれて、立場が高くなります。
そうすると、褒めてくれる人はいても、叱ってくれる人がいなくなるのです。
中年以降になると、叱られる経験が一気に減ります。
役職がついたり親が亡くなったりすると、もはや叱ってくれる人はほとんどいなくなります。
病気のとき、病院の医者から叱られるくらいしかなくなるのです。
叱られる経験がないと、自分が間違ったことをしたとき、気づけません。
叱られることがないと、いつの間にか成長の止まった中年になってしまうでしょう。
「たまには誰か叱ってくれよ」と恋しくなります。
叱られることがあるから、自分の誤解や過ちに気づけます。
叱られる経験は不快ですが、貴重と思うことです。
厳しい言葉だからこそ、心に響き、反省しやすくなります。
叱られるのは、今のうちです。
叱られているうちが華です。
「叱られてありがたい。おかげで悪いところに気づけた。おかげでもっと成長できる」と思うことです。
腹を立てるのではなく、感謝をしてもいいくらいです。
むかむかするかもしれませんが、厳しい言葉を誠実に受け止めることで、反省と改善ができます。
身も心も引き締まります。
褒められる経験は貴重ですが、叱られる経験はもっと貴重なのです。