愛には、2種類あります。
「打算の愛」と「無償の愛」です。
どちらも愛という言葉が使われていますが、本質は別物です。
どちらの愛を表現するかで、生き方も人付き合いも大きく変わるため、きちんと区別しておくことが大切です。
まず注意したいのは、打算の愛です。
一見すると、親切丁寧で寛大に見える行為ですが、要注意です。
実際は下心があり、損得勘定が働いています。
表向きは愛に見えても、実態は「演じる愛」です。
打算の愛であり、本当の愛ではありません。
最終的に自分が利益を受け取るためにしている行為・行動です。
打算の愛は、相手に見抜かれることも少なくありません。
言葉と態度に不自然な違和感が出てきます。
勘の鋭い人なら「何かおかしい」と気づき、警戒します。
下心を持って近づいてくる人は、表向きは優しくても怖いのです。
もし打算の愛がうまくいかないと、強い不満と怒りが湧き出してきます。
「どうして期待に応えてくれないの」「こんなに頑張っているのに!」「こんなに優しくしているのに!」と不満を持ちます。
見返りを期待した分だけ、落胆が大きくなります。
結局のところ、自己利益を優先した行動にすぎません。
残念ながら、打算の愛は嘘偽りの愛であり、本物ではありません。
人と接するなら、本当の愛を表現していくことが大切です。
それが無償の愛です。
無償とは、見返りを求めず、純粋な愛で相手に接していくことをいいます。
無償の愛を表現する人は、相手が喜んでくれることを自分の喜びとしています。
たとえ見返りがなくても、いつもにこにこできます。
相手から反応がなくても疲れません。
無償の愛で生きる人には、ありのままを受け入れる姿勢があります。
長所も短所も、その人の魅力として受け止めようとします。
常に相手の気持ちに寄り添い、理解しようとします。
本当の思いやりがあって、相手を包み込むような優しさがあります。
いつも相手の立場で考えているので、自然な気遣いもできるようになります。
無償の愛で人と接していけば、多くの人から愛されます。
そのため無償の愛は、憎しみや恨みに変わることはありません。
あくまで純粋な気持ちで接しているので、見返りがなくても平気です。
「相手が喜んでくれるならそれでいい」とにこにこします。
親がわが子のために尽くすのも、無償の愛です。
「子どものためなら何でもする」
「この子のためなら命を捧げてもいい」
時には厳しさを表現することもありますが、無償の愛が形を変えた表現です。
そのときは厳しさの意味がわからなくても、子どもが成長したとき「あれは無償の愛の表現だった」と気づくでしょう。
ひたすら注ぐだけの愛こそ、最も美しいのです。
愛を表現するなら、打算の愛ではなく、無償の愛を心がけましょう。
打算の愛で生きると、苦しい未来が待っているでしょう。
無償の愛で生きると、素晴らしい未来が待っています。
同じ愛でも、真逆の人生が待ち受けているのです。