あなたが道路を渡ろうとしたときです。
誰かがあなたを、歩道へ向かって強く押しました。
転んで膝を擦りむいてしまいました。
膝からは、血が流れています。
「痛いな! なんでこういうことをするんだよ!」
腹が立ち、怒りで顔が赤くなります。
そのときです。
大きなトラックが、道を横切りました。
実は、あなたを傷つけようとしたのではなく、トラックにひかれそうになったあなたを助けてくれたのです。
その瞬間、なぜいきなり強く押したのか、事実がわかります。
「よかった。助かった。ありがとう。トラックにひかれて死ぬことに比べれば、擦り傷くらい大したことない」
さっきまで、痛かったはずの擦り傷の痛みが、不思議と感じられなくなります。
むしろ、擦り傷程度で済んだことに感謝します。
自分を強く押してくれた人に対しても、感謝の気持ちでいっぱいです。
「助けてくれてありがとう」
感謝しかありません。
さて、この話を聞いてどう感じましたか。
怒りと感謝という正反対の感情が登場しますが、どちらも強く押してけがをさせたという現実は変わりません。
現実の受け止め方を変えただけで、感謝の気持ちに変わっただけでなく、傷の痛みまで消えてしまいました。
驚くべきことです。
肉体の痛みさえ消えてしまうのは、この例だけの話ではありません。
起こった現実を恨めば、痛みはもっとひどくなります。
しかし、起こった現実を感謝すれば、肉体的な傷すら、痛みを感じなくなり、回復も早くなります。
ある日、あなたが風邪を引きました。
「むかつくなあ。なんで風邪を引くのだろう。隣の席のAさんから菌が移ったに違いない。Aさんも風邪を引いていたからなあ」
あなたは風邪に苦しむと同時に、隣に座っているAさんのことまで嫌いになります。
しかし、トラックの例と同じです。
隣にAさんが座って、簡単に風邪が移ってしまうくらい、あなたの免疫力は低下していたのです。
大病にかかる前に、軽い風邪で済んだことに感謝しなければいけません。
「自分の免疫力はこんなに低下していたのか。風邪程度で済んでよかった。気づかせてくれたAさんに感謝しないと!」
すると不思議なことに、風邪の治りが早くなります。
一命を取り留めたことに比べれば、擦り傷くらい大したことがないトラックの例と同じです。
大病にかかって重体になるくらいなら、風邪程度で苦しむのは大したことがないと、わかるからです。
むしろ、Aさんに感謝したくなります。
病の治りが早くなり、Aさんへの感謝の気持ちでいっぱいになります。
こういう受け止め方をすることです。
起こった現実を、マイナスに受け止めていないでしょうか。
出来事の奥にある、愛の表現に気づくのです。
すべてが感謝であるという現実に気づけます。
「大切なことを教えてくれた」「未然に防ぐことができた」という事実がわかれば、感謝せずにはいられなくなります。
傷の痛みまで感じられなくなります。
大嫌いな人が、大好きな人に変わるのです。