あなたが1から作れるもの、作ったものは、1つもありません。
すべて、すでにあるものを組み合わせたものの結果です。
私たちは、いろいろなものを創造しました。
電球、自動車、パソコン、携帯電話。
しかし、これらは、作ったのではなく、組み合わせたものなのです。
「こういうものがあればいいな」という人の心が映し出された結果なのです。
エジソンは「夜に明るく輝く電球を発明したい」という心が先にあって、実現のために、すでにあるものを組み合わせて作りました。
電球は明るく輝きますが、肝心の光まで、エジソンが作ったものでしょうか。
電球のガラスもエジソンが作ったものでしょうか。
いいえ、エジソンは光もガラスも作ることができません。
エジソンは、すでに存在しているものを、うまく組み合わせて、それを「発明」と呼んでいるだけです。
また自動車は鉄でできていますが、鉄は人間が作ったものですか。
燃料に使うガソリンは人間が作ったものですか。
電気は人間が作ったものですか。
最初からすでに存在しているものを「第一念」といいます。
神様が念じて作ったもの、宇宙が念じて作ったものということです。
私たちがしていることは、すべて組み合わせているだけです。
「あんなものがあればいいな。こんなものがあればいいな」という夢を描き、組み合わせて、現実に登場しているだけです。
すでにある第一念を組み合わせて、できたものを「第二念」といいます。
「こんなものがあればいいな」ともう一度念じて、夢に描き、組み合わせて作ったものということです。
本当は、人間が1から作れるものは、1つもないのです。
家も組み合わせたのは人間ですが、もともとある素材(木)を作ったのは、宇宙です。
そもそも私の体も、私が作ったわけではありません。
細胞、タンパク質、DNAなどからできていますが、細胞、タンパク質、DNAも私が作ったものではありません。
私が作れるものでもありません。
この「自分が作ったものなど1つもない」という現実に気づくと、必ず人は謙虚になります。
自分は、生きているのではなく、生かされていることに気づくからです。
世の中に、自分が作ったものなど1つもないのですから、感謝をするしかありません。
横柄な人は「これは俺のもの」「これは俺が作った」「これは俺が発明した」と自己主張をします。
しかし、そんな人ほど、人間が1から作ったものなど1つもないという本当の事実に気づいていないのです。
権利争い、著作権問題といった、面倒くさい問題を引き起こしています。
そもそも自分が作ったものではないのですから「これは私のものだ」という主張そのものがおかしいのです。
元をたどれば、すべて宇宙が作ったものなのです。