信じるためには、まず疑うことです。
疑いが先にあって、次に信じるがあります。
疑うことがなく、いきなり信じてしまうのは、盲目になっている状態です。
実際に行動して、トライをして、試したり、見たり、触ったりと疑いの気持ちを持ちながら確認します。
どんなに尊敬できる人がいう言葉でも、すべてを初めから信じてしまうのは、危険です。
もし、信じていたことが間違っていたら、大変なことになります。
本物のダイヤモンドであるかを確かめるためには、まず疑ってみることです。
「これはダイヤモンドです」と言われて「わかりました」と信じるのではありません。
信じたばかりに、偽物を買わされることになる可能性が高いです。
では、どうするのかというと「証拠を見せてください」と疑うのです。
さまざまな鑑定士によって、本物かどうか、確かめてもらいます。
本物のダイヤモンドなら、どんなに疑っても、本物は本物です。
何十回、何百回疑っても、正当性が崩れることはありません。
本物かどうかを確かめるためには、まず疑うことから始めます。
本物は、どんな角度から疑われても、本物である事実は揺らぎません。
やみくもに、信じるのではありません。
心から信じたければ、疑いの気持ちを持って、確認したり、証拠を探したりします。
本物なら、どんなに疑っても本物は本物です。
自分の歩んでいる道が、天命や使命に沿った道かどうかを確かめるためには、いきなり信じるのではありません。
まず疑ってみるのです。
行動をして試してみたり、引き離してみたりと、さまざまな角度から疑ってみます。
本当の天命なら、どんな場面でも、志が折れることはありません。
宇宙から授かった役割が本物である確認は、まず実際にトライをして疑ってみます。
それでも揺るがない本物なら、そこで初めて信じるのです。