従来の成功哲学だけではなく、学校教育も、頭にインプットをする教育です。
勉強を言い換えれば「たくさんの偏見を持つ」ともいえます。
「こうしなければいけない」「こうでなければならない」という知識や考えを、インプットします。
「1+1」は、必ず「2」です。
関が原の戦いは、1600年です。
インプットをすれば、知識が豊富になり、たしかに賢くなるでしょう。
しかし、です。
人工的に作った薬には、何らかの副作用があるように、人間が決めた知識のインプットにも、副作用があります。
勉強の副作用は、主に2つがあります。
まず(1)です。
できなかったときの自分に落ち込んでしまう経験は、誰もが一度は経験のある、心の病です。
「これだけ勉強しているのに、なぜ報われないのだろうか。なぜ成績が上がらないのだろうか。自分は、出来損ないだ」
こうした自己嫌悪の経験があるのではないでしょうか。
自信をつけるためにした勉強によって、さらに自信を失うことになり、悩みが増えてしまう矛盾です。
勉強をすればするほど、絶対に報われるとは限りません。
学校では、競争であり、偏差値の世界です。
ほかの人との兼ね合いもあります。
実際に知識量が増えても、ほかの人がそれ以上に点数がよければ、負けは負けです。
知識、学び、インプットによる競争は、必ずしも報われるわけではありません。
勉強をしても、必ずしも報われない現実があります。
しかし、この副作用は、まだかわいいほうです。
勉強による本当に怖い副作用は(2)の「人を裁いてしまうようになること」です。
一生懸命に勉強をして、知識を吸収する。
学問があり、政治に詳しくなり、世の中に精通すると、どうなるでしょうか。
その得られた知識を持って、あらゆる人・物・出来事などを裁いてしまうようになるのです。
「あの人は、礼儀が悪い」
「うちの両親は、教育が下手だ」
「うちの上司は、なっていない」
「あの国の政治は、ダメだ」
自分の知識に自信ができるほど、それだけ裁く対象も増えます。
たくさん批判をするようになり、いつもぶつぶつ文句を言う人になります。
批判や文句ばかりを言う人は、知識人が多いのです。
本来、幸せになるための勉強が、人との対立を増やし、悩みを増やし、喧嘩まで増やしている、この矛盾。
宗教家は、派の教書や聖典を読んで学び、たくさんの教えをインプットします。
その得られた知識を持って、人を批判して、ほかの宗派と対立します。
宗教戦争です。
本来、一番人を救うべき宗教が、一番人を殺している状態です。
今、世の中で人を一番殺しているのは、宗教戦争です。
知識をインプットすることで、人を裁くようになり、国を裁くようになり、宗派を裁くようになります。
ささいな言い争いから始まり、ついには、人殺しにまで発展します。
学校では「勉強すれば幸せになれる」と教わりますが、重大な副作用に気づくことです。
デモ隊と警察との衝突、テロ、宗教戦争など、現実では、知識人ほど争いが増えています。
知識をインプットしたことで、発生した対立です。
勉強をして幸せになるという考え方は、狭い見識です。
たくさん薬を飲めば健康になりますよ、ということです。
たくさん薬を飲んでしまうと死んでしまいます。
副作用のことなんて、一切考えていません。
薬は本当に必要なときに、適量を飲めばいいだけです。
もちろん副作用のことも、考慮して、適量を判断します。
勉強も、ただすればいいわけではありません。
必要なときに必要な勉強をして、副作用を考えながら、学んでいくことです。
知識の量が豊富なら、幸せになるとは限らない現実に、気づくことです。