「世の中、お金が一番大切だ」
こういうことを言う人を、ときどき見かけます。
たしかにお金は、生きていくためには必要不可欠なことです。
お金がなければ食べるものも、着るものも、住むところも手に入れられません。
お金があれば、どんなことも自由に手に入れることができます。
何でも叶えることができます。
人は「お金、お金」と執着し、お金ばかりに目を向けてしまいがちです。
なぜお金をそんなに欲しがるのでしょうか。
お金を通して得られる自由が欲しいからです。
満たされたい欲求があるからです。
愛が欲しいからです。
たとえば「お金はいりませんから、あなたの願いを何でも叶えます」というなら、お金はもはや、いらないはずです。
食べるものも着るものも、どんなサービスもただで提供しますよというなら、お金はもはや必要ないと考えてしまいますよね。
自由を手に入れたいから、お金を欲しがってしまうのです。
自由を手に入れて、満足を得て、心を満たしたいからです。
人は誰しも、愛を欲しがっているのです。
「お金が欲しい」と言っている人は「愛が欲しい」と言っていることと同じことなのです。
「お金が欲しい」と考えている人ほど、親子関係がもつれていたり、人間関係が悪かったりしています。
人との関係がうまくいかず、愛に触れていないため、愛の代わりとして、お金を求めるようになります。
日常では愛に触れることが少ない。
↓
心の中で満たされない。
↓
だからお金によって自由を手に入れ、心を満たしたい。
このように考えて、最終的に「お金が一番」と勘違いをしてしまうのです。
お金は、愛の代替品にすぎません。
たしかにお金は一時的な快楽や喜びを与えてくれますが、深い満足や喜びまでは手に入れられないのです。
本物の愛によってでしか、深い満足や喜びを得ることはできません。
お金ばかりに執着した人が行き着く結末は、どんなことでしょうか。
汚職事件、賄賂、遺産相続。
「愛」が不足している人が、愛の代替品であるお金を必死になって手に入れようとして引き起こす事件です。
すでに愛にあふれている人は、事件を起こしたりしません。
すでに満たされているからです。
満たされているから、愛の代替品であるお金に対して、強い執着はないのです。
事件を起こす人は、必ずと言っていいほど人間関係がうまくいっていません。
家族との仲が悪かったり、友人との人間関係がうまくいっていなかったりします。
愛の代わりに、お金を求めてしまうのです。
お金があれば、何でも自由が手に入ります。
親子関係がうまくいかず、人との関係もうまくいかず、だからお金を持って自由になりたいと願うのです。
お金は愛とそっくりの作用を持ちますが「お金=愛」というわけではないのです。
お金は単なる、愛の代替品なのです。