誰でもできる、誰しも共通する究極の探し方があります。
「死の瞬間から考える」という方法です。
死という究極から物事を考えると、本当に大切なことが見えてきます。
ある人は「お金を稼ぐことがやりたいことだ」といいます。
本当にその人のやりたいことでしょうか。
「死の瞬間から見る方法」で判断すると、すぐ答えがわかります。
死んでしまえば、お金は意味がなくなります。
お金をあの世まで持っていくことはできませんから、手放さなければなりません。
お金は、生きるためには必要なことです。
しかし、死んでも手に入れたいことではありません。
つまり、お金を手に入れることは、人が本当に求めることではないのです。
死んでもいいから欲しいもの、手に入れたい物、求めるものが、本当にやりたいことです。
難しいテーマであることは、承知です。
しかし、これこそが自分が本当に求めるやりたいことです。
人間は、誰もが必ずいつかは死を向かえ、誰も死を避けられません。
この世における絶対的な事実に気づいたとき「真実」が見えてきます。
家を持っても、死ぬとき、手放すことになります。
お金を持っても、死ぬとき、手放すことになります。
肉体があっても、死ぬとき、手放すことになります。
私は求めていることのどれも、実は死んでしまえば手放さなければならないことに気づき、むなしくなったことがありました。
欲しいものを手に入れたところで、絶対いつかは手放さなければならない。
なんてむなしいのでしょう。
家族、友人、恩師、家、学歴、資格、お金、財産、土地、記憶、自分の肉体。
すべては、最後は水の泡です。
すべて手放さなければならないという、絶対的真実があります。
私は考え方を改めました。
改めざるを得ませんでした。
真実に気づいたからこそ、本当の対策を立てることができるようになった。
「死んでもいいから手に入れたい」という究極を求めるようになったのです。
一時的な欲のために今、努力するより、本当に手に入れたい1つのために、一生を捧げようという考えになったのです。
死んでもいいからやりたいことが、本当に求めていることなのでした。
一番願うものといえば、自分ができることで次の人に大切なメッセージを残して、愛されて死んでいくことです。
恥ずかしいことですが、私話をさせてください。
私は「後世に元気を残して愛されて死んでいきたい」という究極的な願いがあります。
これが、死んでもいいから本当にやりたいこと、達成したいこと、夢でもあります。
本を読むことも、書くことも、HAPPY LIFESTYLEというサイトを作ることも、手段にすぎません。
仕事も勉強も、生きることまるごとすべてが、目的を達成するための手段です。
それらを使って、実は「後世に元気を残して愛されたい」という大欲があります。
私にとって、本当にやりたいことです。
死んでもいいから手に入れたいことです。
それができたとき、私は本当に死んでもいいと思っています。