あなたは、何かを捨てることができますか。
捨てるということは、失い消えてしまうことだと思っていませんか。
ですが「なくなる」ということはあり得ないのです。
宇宙全体から見れば、全体の量はまったく変わっていません。
「ある物が、あなたの元を離れた」という事実にすぎません。
手放すことはできても、消してしまうことができないのです。
あらゆる「捨てる」という行為は、ただ形が変わったり、存在している場所が変わったりしているにすぎません。
本を燃やしても、ただ、灰と二酸化炭素という形に姿を変えただけです。
完全にこの世から消えてなくなってしまったわけではありません。
本を破っても、本がなくなったわけではなく、ただ形が変わっているだけです。
人にあげてしまっても、ただ自分のもとを離れるだけであって、存在する場所が変わってしまうだけです。
あなたが水を捨てても、洋服を捨てても、友人を捨てても、それらは実は本当に捨てられてはいないのです。
完全にこの世から消し去ってしまうことは不可能なのです。
ただ形が変わったり、存在する場所が変わったりするだけであって、完全にこの世から消えてなくなってしまうわけではありません。
この世の中において、捨てようと思っても、実は捨てることはできないのです。
全体的な量としては、何も変わっていません。
捨てるということが、失うことだと思っている人は、大変に狭い視野でしか、物事を考えることができていません。
世の中は、全体として「大きな1つ」です。
「宇宙」の中の1つでしか、ないのです。
全体の各部分によって、原子の密度や組み合わせの違いにより、鉄や空気、人間といった森羅万象が表現されているだけです。
光は1つしかないように思えますが、プリズムを通すと、無限の色が表現されることと同じなのです。
密度や組み合わせによって、世の中にはいろいろな物質があるように見えているだけです。
世の中には「捨てられない人」がいます。
写真が捨てられない。
本が捨てられない。
思い出が捨てられない。
物や人、記憶に対して、捨てられないということは、温かい響きがあるかもしれませんね。
しかし、ただ「執着」しているだけです。
「自分の物にしたい! 手放したくない!」という執着の愛であって、本当の愛ではありません。
この世にあるものは、誰のものでもないからです。
全体は「宇宙」という「1つ」でしかなく、初めから誰かの所有ではないのです。
誰のものでもなく、宇宙の一部にすぎないのです。
あなたは、誰が作りましたか。
自分で自分を作ったわけではないですよね。
あなたの親が作りましたよね。
では、あなたの親は、誰が作りましたか。
あなたの親の親が作りましたよね。
遡っていけば、地球が私たちを作り出したことに気づきます。
地球は太陽系によって作り出され、太陽系は銀河系によって作り出されています。
銀河系は、宇宙によって作り出されているのです。