愛とは「個と全体との一体化」です。
自分とそれ以外が、1つになることをいいます。
「相手のことを考えて行動することが大切なくらいはわかっている。
それができなくて困っているのではないか!」。
今、そう心の中で思っているのではありませんか。
無理やり相手のことを考える必要はありません。
「相手に優しくしよう、しよう」と強く考えてしまうことは、そう思っていないということです。
正直なところ、いくら相手のために行動しましょうとはいえ、そうできない現実があるのはたしかです。
誰しも、自分が一番大切だからです。
自分のことを一番に考えてしまうからです。
しかし、ちょっと待ってください。
自分のことを大切にしようという欲求があるなら、もっとその欲求を幅広く深く掘り下げていくことです。
すると、自分のために相手に対しても優しくなることができるようになります。
相手のことを真剣に考えるためには、もっと自分のことを真剣に考えるのです。
すると「相手の幸せ=自分の幸せ」と、跳ね返ってくることに気づきます。
究極の自己愛でいいのです。
「え? それじゃあ結局自分のことばかりを考えて行動するの?」
そこまで自分のことを考えるようになれば、相手のことを思って自然に行動ができるようになります。
相手と仲良くならないと、つらい目に遭う人は自分だからです。
自分が幸せになるためには、相手と仲良くならなければなりません。
自分のことをもっと愛そうと思うなら「もっと相手と仲良くなろう」という気持ちが自然と出てきます。
自分への究極の自己愛に目覚めると、他人に優しくできるようになりますし、ごみのポイ捨てもしなくなります。
相手との人間関係は、なにより自分のためになるからです。
町にごみを捨てても、その町に住むのは自分ですよね。
結局自分が困ってしまうことになります。
ごみを捨てても、そんな町に自分は住んでいますから、跳ね返ってくるわけです。
きれいな町に住みたいと強く願うようになれば、ポイ捨ては自分で自分の住んでいる町を汚してしまっていることに気づきます。
自分への強い愛があれば、ごみのポイ捨てもしなくなります。
喧嘩も争いもしなくなります。
そんなことをして、一番苦しみ傷つく人は、誰より自分だからです。
相手と仲が悪くなれば、苦しむ人は自分です。
相手が存在しているかぎり、ずっといらいらしていないといけないからです。
仲が悪くなっても、自分がつらい思いをするだけです。
自分に優しくしたければ、相手と争い喧嘩をしようとしません。
それどころか相手に優しくなり、思いやりが自然と出てきます。
相手との関係がよくなることで、自分が幸せになれるからです。
愛に満ちあふれる人になりたければ、もっと自分のことを考えて、愛しましょう。
今まで以上にもっと自分のことを大切にして、愛しましょう。
すると、不思議なことに他人のことまで愛することができるようになります。
愛に満ちあふれている人は、自分を、究極に愛している人のことなのです。