愛とは勉強することではありません。
自分の中から引き出すものです。
人間は、愛によってできていますから、本来、どんな人間にも必ず共通して愛を持っています。
愛だけは、どんな人の心にも存在しているのです。
しかし、それが、心のごみによって見えなくなります。
心のごみとは「見栄」「エゴ」「過去のつらい記憶」「トラウマ」「コンプレックス」などです。
こうした心のごみがあり、心の奥底から輝いている愛があっても、ごみが邪魔をして光が遮られている状態になっているのです。
愛は勉強するものではありませんから、いくら本を読んでも意味がありません。
一時的に頭の中ではわかったような気がしますが「偽り」です。
「愛のある人生と、ない人生。どちらが幸せになれると思いますか」と聞けば、すべての人が「愛のある人生」だと答えます。
頭では、わかっているのです。
教えられてわかることではなく、すでにみんなが、気づいていることです。
しかし、悪いことをする人でも、頭ではわかっていても、そのとおりにできない現実があります。
いくら勉強をしても、愛は本から学ぶということはできません。
本から学ぶことで愛が得られることは、おかしな話です。
先ほども言いましたが、愛はすでにみな持っているのです。
愛によって私たちは、出来上がっています。
肉体という体があり、体は心によって動かされ、心の中心に愛があり、温かく輝いています。
ただ心のごみが邪魔をして、光を遮っているだけです。
悪いことをする人は、その心のごみが人一倍多くて、中心から放つ光が、ほとんど遮られてしまっている状態になっているのです。
本当に大切なことは、愛を学ぶことではなく、この心のごみを取り払うことなのです。
心のごみを取り払うことで、すでに存在している愛が見えてくるようになり、温泉を掘りあてたように湧き出てきます。
実は、愛に満ちあふれる人とはいえ、すでにみんなが愛に満ちあふれているのです。
ただ人によって、愛は満ちあふれているのに、隠れてしまっている人がいるのです。
愛に目覚めるとは、心のごみを取り払うことです。
光を遮っている蓋を、取り除くことです。
曇っているガラスを拭いてあげることです。
黒いサングラスから、透明色のメガネに変えることです。
それだけで、誰しもが本来持っている愛が湧き出てくるはずなのです。
本を読みあさり、机に向かって勉強することなど、本来まったくする必要のないことなのです。