低い位置からでは、真実はよく見えません。
低いと、たくさんの障害物が視界を邪魔して、遠くまで見えません。
見えなければ、気づけないのです。
では、どうするか。
高い位置から見るのです。
徹底的に高い位置から見ると、視界を邪魔するあらゆる障害物がなくなり、遠くまで見渡せます。
視点を高くしましょう。
ずっと高くして、空から地上を見下ろします。
さらに高く上がり、宇宙から地球を見下ろします。
まず「地球に国境はない」ということが、わかります。
陸や海の上に、線は見当たりません。
さらに人種も、幻です。
宇宙から見ると「地球にいる生き物」です。
高い視点から見ると、境界線がなくなり、どこも同じです。
しかし、実はこの高さでは、まだ不十分です。
十分高いように思えますが、究極ではありません。
もっともっと、視野を広くしましょう。
あなたは創造主になったと仮定して、宇宙全体からすべてを眺める視点を持ちます。
太陽系も銀河系も、すべて、包括してみます。
これこそが、究極に高い視点です。
すると、今までとは違った光景が見えます。
私も、宇宙の一部です。
星も、宇宙の一部です。
太陽系も銀河系も、宇宙の一部です。
宇宙全体から見れば「あらゆる個は、宇宙の一部でしかない」とわかります。
すなわち、この世にあるのは「宇宙」という1つだけです。
宇宙は、砂場のようなものです。
原子レベルや素粒子レベルから見ると、宇宙はたくさんの粒が埋まっているだけです。
粒の組み合わせによって、物質が生まれます。
物質を識別しやすいように、人間が名前をつけます。
名前をつけると識別しやすく便利ですが、かえって現実をねじ曲げます。
名前をつけるから、個が生まれ、境界線が生まれます。
境界線が生まれるから偏見を持ち、偏見を持つから対立をして、いらいらしてしまうのです。
本当は個さえ、幻です。
個は、人間が名前をつけたから生まれた幻です。
対立も、幻です。
そもそも個が幻なのですから、対立も幻なのです。
悩みすら、幻です。
自分が勝手に思い込んだ偏見で、自分が勝手に悩みを持ち、いらいらしているだけです。
最初から個もなければ、対立もなく、悩みもありません。
世の中にあるのは「宇宙」という1つのみです。
そして、その宇宙を生み出した存在こそ「偉大なる何か」です。
私たちは、ばらばらではなく、最初からすでに1つなのです。