好きな人を愛そうと思うのは、簡単です。
愛そうと思わなくても、自然と愛せます。
難しいのは、嫌いな人に出会ったときです。
嫌いな人と出会ったときは、憎らしくなるものです。
気分が悪くなり、相手の不幸を願ってしまうものです。
しかし、どんなに憎んだところで、苦しむのは自分だけです。
どんなに憎んでも、いいことは1つもありません。
憎めば憎むほど、かえって自分が苦しくなります。
嫌いな人に直面したときこそ「愛そう」と思うことです。
どんな人にも、いいところが、1つはあります。
ない人なんて、いません。
1つ見つけるだけで、いいのです。
いいところが1つ見つかれば、もう大丈夫です。
その一点だけを見て「素晴らしいな。自分は真似できないな」と思えばいいのです。
心が落ち着き、自然と相手を受け入れられるようになります。
それをするのが、人生における、大切な修行の1つです。
嫌いを、ありのまま受け入れているうちは、まだ子どもです。
意識のレベルが低いです。
「どんな人でも愛そう」と決心することです。
嫌いな人を愛せるようになったとき、あなたに本当の愛が芽生えます。
それが「魂を向上させる」「意識を高める」「大人になる」と言うことです。
嫌いな人も愛してしまえば、この世に、嫌いな人がいなくなります。
生きていながら、この世が天国になるのです。