私は昔から人生についてよく考える習慣を持っています。
学生時代のとき、当たり前でありながら見落としがちなことに気づき、衝撃を受けたテーマがあります。
「なぜこんな大切なことを今まで気づかなかったんだ!」
単純なことを見過ごしていた自分に恥ずかしくなりました。
その大切な言葉は、次の一言です。
「人生に練習はない。常に本番しかない」
いまだにこの言葉を意識しながら、毎日を送っています。
テスト、試合、仕事など「まあ練習だからいいか」と気が緩みがちな自分に、もう1人の自分が語りかけます。
「おいおい、練習はないぞ。人生から見れば本番しかないぞ」
たとえば、大学受験です。
受験には、本番の「試験」と、それに備える「勉強」があります。
勉強はいわば、練習です。
本番で力を発揮するために、一生懸命に勉強します。
受験という「短い時間」として考えると「試験」という本番と「勉強」という練習に別れます。
しかし「人生」という大きな視点から見ると、練習も本番の一部であるということに気づきます。
本番は、日頃の練習がパズルのように組み合わさってできている、大きな集大成です。
本番で力を発揮するためには、練習こそ本番のように一生懸命になる必要があります。
練習だからとはいえ、力を抜いていれば、本番でも試験に落ちることでしょう。
人生から見れば、本番も練習も1つなのです。
セットなのです。
別れていて、別々のこととしてあるのではなく、同じ線路上にあります。
あなたが「これは練習だからいいや」と考えていることは、実は本番の一部ということに気づきましょう。
試験に合格するための勉強も、本番の一部なのです。
本番の成果は、日頃の練習の積み重ねによって決まります。
本番の一部、と考えることができるのです。
「本番」「練習」と別々の単語としてわかれていると、別々の実体があるように思えます。
どちらも同じ人生であることには変わりないのです。