今回のテーマは、私の恥ずかしい経験から誕生しました。
顔から火が出るほどの経験です。
書くなといわれても、書きたいと思ってしまうくらい、恥ずかしいことがあり、忘れないうちに急いで筆を握っています。
先日、私の父が東京に遊びにきたときのことです。
山手線の電車の中、父と日常的な会話をしていました。
何が恥ずかしいのかというと、父の「声の大きさ」です。
それはもう大きな声で話します。
電車の中ですから、公共の場です。
周りに知らない人たちがたくさんいます。
当然ですが、周りに迷惑をかけないよう、マナーを守ることが必要です。
そんなとき、父はオペラ歌手のように大きな声で、私に話しかけてきます。
「東京は人が多くて、押しつぶされそう。
お父さんが若いころは、あれやこれや。
最近の日本は、かくかくしかじか」。
父は久しぶりに息子に会えたことが、よほど嬉しかったのか、いつもよりたくさん話をしてくれます。
それはそれで嬉しいのですが、とりあえずもう少し声を小さくして話をしてくれないかな、と思いました。
車両に響き渡るほどの大声です。
耳を閉じても、聞こえてくるくらい。
もしかしたら、隣の車両まで聞こえているのではないかというくらいです。
田舎から出てきたことが、ばればれ。
周りの乗客は「もう少し静かにしてくれよ」という顔で、ちらちらこちらを見る。
冷たい視線がまぶしい。
それに、父はまったく気づいていない。
父の話の内容は、面白くていいのですが、とにかく声が大きすぎる。
私は抑えきれず「もう少し声を小さくして、話してくれない?」と、お願いしました。
「よし、わかった」という父は、その後も相変わらず大きな声でしゃべり「全然わかってないじゃん」と思う私。
そんなとき「ついに父も、オヤジになったか……」と、思ったほどです。
実際に、本当にあった出来事です。
「空気を読む」ということが大切だとわかっていても、具体的に「ではどうすればいいのか」という疑問を持つ人が多いようです。
「空気を読む」という表現は、たしかに抽象的です。
大切ということはわかるけれど、実際にどうすればいいのかわからない人が多いようです。
この本は、自分で書きながら「私の父にも読ませてあげたい」と本気で思ってしまった内容です。
私の父だけでなく、あなたにも、あなたの友人にも役立つ内容です。
人間から品性を取れば、ただのオヤジになります。
周りの空気を読みながら、雰囲気に溶け込める人になることが、大切なのです。