映画やドラマで「命乞いのシーン」を見かけることがあります。
「どうか助けてください!」
「命だけは勘弁してください!」
「私には小さい子どもがいるのです!」
事件に巻き込まれ、敵から刃物を突きつけられ、今にも殺されそうなぎりぎりの場面です。
命乞いをした結果には、2通りあります。
「うまく助かるケース」と「そのまま殺されてしまうケース」です。
残念ながら、両方のケースがあります。
命乞いをしても、無駄に終わるケースも少なくありません。
では、命乞いが無駄かというと、そうではありません。
命乞いは、しないより、しておくほうがいいのです。
命乞いは「生き延びたい」という明確な意思表示です。
生き延びようと必死にもがいている姿です。
どんな言葉であっても、少なくとも生き延びたい意思は伝わるでしょう。
命乞いをしている人を見てばかにしてはいけません。
映画やドラマで見かけるシーンの1つですが、人ごとと思ってみないことです。
自分の身に起こる可能性もゼロではないからです。
いざ自分も命の危機に直面したとき、恥ずかしがらず命乞いができるようになっておくことです。
「自分の値打ちが下がる」「プライドが許さない」など、見栄や意地を張らないことです。
見栄や意地を張っていると、あっさり命を落としてしまうでしょう。
命がなくなれば、すべてが終わります。
やり直したくても一切できません。
死んでしまえば、何をどうやっても生き返れません。
この世に未練がなければ何をしようと自由ですが、生き延びたければ恥ずかしがらず命乞いをするのが賢明です。
必死で命乞いをすれば、少しは状況が変わるかもしれません。
相手は心を動かされ、気が変わるかもしれません。
ちょっとした時間稼ぎになって、何らかの突破口が見つかるかもしれません。
無駄になるかもしれませんが、無駄にならないかもしれません。
命が惜しければ、できることは何でもやっておくことです。
命乞いをすれば大丈夫とは限りませんが、少なくとも生き延びる可能性が高くなるのは間違いありません。
死んでしまうくらいなら、醜態をさらしてでも命乞いくらいはしておくことです。
生き残りさえすれば、まだまだ人生が続きます。
おいしいものを食べたり好きなことができたりします。
趣味を楽しんだり夢を叶えたり大切な人との時間を過ごせたりできるでしょう。
喜びも楽しみも、やりたいことができるのも、命があってこそです。
私たちの日常で命乞いをする場面はまずありませんが、絶対ないとも言いきれません。
万一そうした場面に直面したら、恥や外聞を捨ててでも、命乞いをできるようになっておいてください。
武器も逃げ場もないなら、命乞いをするしかありません。
生き延びる可能性が1パーセントでも上がるなら、意味はあります。
命乞いも、抵抗の1つです。