年齢を重ねていくにつれて、失いやすい感情があります。
それは「恥じらい」です。
若いころは、ちょっとした失態に恥じらいを感じていました。
面前で間違えたとき、おならをしたとき、マナー違反をしたとき。
少しでも恥ずかしい失態をしようものなら、顔を真っ赤にして、冷や汗をかいていました。
マナー違反であれば、すぐに非を認め、自分の行いを反省しました。
ところが年齢を重ねるにつれて、恥じらいが薄れがちです。
「見られたら恥ずかしい」と思っていたことが、年齢を重ねると「別に見られても大丈夫」に変わります。
「きちんとしよう」と思っていたことが「別にだらだらしてもかまわない」に変わります。
たとえば、マナー違反をしたときです。
マナー違反をしたとき、若いころは「恥ずかしい」と素直に反省しますが、年齢を重ねるにつれて緩んだ考えになりがちです。
「まあいいか」「これくらいいいよね」「別に問題ないだろう」といった考えに変わります。
「真面目にやってたまるか!」と、横柄な考え方になることも少なくありません。
一見すると、勇気が鍛えられ、度胸が身についたように思えます。
経験が増えることで物事に動じなくなり、いいことであるように思えるかもしれません。
しかし、気づいてください。
年齢を重ねていくにつれて恥じらいがなくなったら、それは勇気が鍛えられたのではありません。
心が老化しているのです。
人は、恥じらいがなくなると、品性とモラルが失われ、態度が悪くなります。
人間らしい振る舞いが失われ、だんだん野蛮な振る舞いが目立ち始めます。
完全に恥じらいがなくなると、もはや野生の生き物と同一になります。
恥じらいを忘れないことです。
年齢を重ねても、恥じらいだけは大切にしたい。
年齢を重ねても、マナーは守り、モラルを大切にしたい。
品性を大切にして、人としての品格を保ちたい。
自分の行いを振り返り、恥ずかしい振る舞いになっていないか、客観的な目を持つことが大切です。
恥じらいは、年齢を重ねても保ち続けたい感情です。
人として恥ずかしい行為をしないよう、緊張感を持つことです。
そうすれば、外見は老いても、心は美しい状態を保てます。
目指したいのは、赤面ができる年配者です。
赤面ができる年配者は、心が若々しいのが特徴です。
勇気を鍛えつつも、恥じらいは持ち続けたい感情です。
恥じらいは、品性を保つために必要です。
どれだけ人生経験を経ても、恥じらいは忘れてならない感情なのです。