優しい人になるために欠かせない行動があります。
それは、積極的に困っている人を助ける行動です。
身近に困っている人がいたとき、あなたならどうしますか。
助けるか、無視をするか。
迷う場面の1つです。
「困っている人を助けてもメリットはない」
「手間暇がかかるだけ」
「面倒なトラブルに巻き込まれるかもしれない」
そう考える人もいるでしょう。
たしかにお金をもらえるわけでもなければ、ご褒美があるわけでもありません。
賞状をもらえるわけでもなければ、会社の業務に役立つわけでもない。
実際に自分の仕事が増えることになるでしょう。
自分に関係ないなら、見て見ぬふりをするのも自由です。
無視をして、罪になることはありません。
助けなくても、お金が減るわけでもありません。
あるとすれば「感謝をされるかもしれない」という程度でしょう。
自分に得がなければ、見て見ぬふりをして、見過ごす人もいるかもしれません。
しかし「得がないから何もしない」という考え方は、人として少し寂しいところです。
あなたも苦しいときに助けられた経験が一度はあるでしょう。
困っているときであればあるほど、助けてもらえたとき、本当にありがたく感じます。
「何て優しい人なのだろう」という感激は、長く記憶に残り続けているでしょう。
困っている人がいるとき、優しい心を持った人間なら、利害損得に関係なく積極的に助けていきたい。
困っている人を助けるのは、人として崇高な行為です。
たとえ小さな協力であってもいいのです。
人を助ける行為は、どんなに小さくても、社会の役に立ちます。
たとえ小さな協力であっても、優しい心で接すると、相手を明るい温かい気持ちにできるでしょう。
打算や下心は持たず、純粋な気持ちで助けるだけで、誰でも神様のようになれます。
助けた相手からも、きっと感謝されるでしょう。
困っている人がいたら「自分に関係ない」と思わず、純粋な気持ちで積極的に助けていきましょう。
たとえば、電車で座っているとき、妊婦が乗ってきたら、さっと席を譲ります。
おなかが重い妊婦にとって、立っているだけでも体力を消耗して疲れます。
席を譲ってもらえると足腰が楽になって、おなかにいる赤ちゃんも助かるでしょう。
階段を上るのに苦労している年配者がいれば、手を取って上るお手伝いをしましょう。
歩き方がおぼつかない様子なら、何かの拍子で階段から転げ落ちてしまうかもしれません。
体を支えて、階段を上がるお手伝いをすれば、上るのが楽になるだけでなく、未然に事故を防げます。
知り合いがボールペンを忘れて困っていたら、自分が持っているものを貸します。
使わないボールペンが余っているなら、1本貸しても問題ないでしょう。
たとえ1本しかなくても、自分が使い終わってから貸せば、喜ばれるはずです。
職場の同僚が山積みの仕事で困っていたら、積極的に手伝いを名乗り出るといいでしょう。
自分の仕事は増えることになりますが、2人が手分けすれば効率的に進みます。
仕事が速く片付ければ、相手だけでなく、職場全体からも感謝されるでしょう。
どれも小さな行為ですが、優しさの美しい表現です。
人助けをして、自分に直接の利益はなくても、すがすがしい気持ちになれるでしょう。
「自分の存在が役立った」と思えるだけで、嬉しい気持ちになれます。
純粋に「助けたい」という気持ちを大切にしながら助けることが大切です。
人助けは、相手のためだけでなく、自分のためにもなるのです。