「自分を高めたい、自分を成長させたい」という欲求は誰にでもあります。
しかし、いらいらしたくないとも思います。
おかしな話です。
本当に成長を求めようとするなら、いらいらすることを求めようとするはずだからです。
この2つは、セットなのです。
自分を高めたい気持ちがあれば、いらいらを求め、感謝するようになります。
いらいらこそ、あなたの成長になることだからです。
行動の遅い人を見ていらいらしたら、相手が悪いのではなく、自分に問題があると考えることです。
つい人を裁いてしまう自分は、まだまだ心が小さいなと気づくきっかけになります。
行動が遅い人は、何も悪いことをしていません。
ただ自分が勝手にいらいらしているだけであり、問題は自分にあると気づくことです。
あなたを叱ってくれる親にいらいらしたら、親を憎むのではなく、親からの教えに素直に気づけない自分に反省することです。
親は、子に嫌われることを覚悟に、大切なことを教えようとしてくれています。
素晴らしい愛の表現を、憎しみと勘違いしている自分を、恥ずかしく思わなければいけません。
「自分を高めたい、成長させたい」と本当に心から思うなら、いらいらほど貴重な出来事はないのです。
すべてのいらいらは、必ずあなたに何かを教えてくれている大切な出来事です。
いらいらは、成長に変えることができます。
小学校のころを思い出しましょう。
怖い先生、厳しい先生がいましたよね。
当時は苦手だと思っても、今振り返ると、そういう厳しい先生ほど自分のためになっていたはずです。
厳しい先生ほど、生徒のためになる授業をしていたはずです。
「自分のために叱ってくれていたんだ」
「生徒に嫌われてもいいから、大切なことを一生懸命教えてくれていたんだ」
本当の教師ほど、生徒から反発されるようになります。
案外優しい先生は、後から振り返ると存在感が薄く感じられます。
なかなか思い出せません。
優しい先生は、生徒に甘いため、実は生徒のためになっていません。
厳しい先生、怖い先生ほど、生徒のことを本気になって考えています。
自分のためになる薬ほど、苦いものです。
薬が甘くおいしいと感じれば、その薬は効き目が薄い。
本当に自分のためになることは、苦いものです。
いらいらする出来事であって当然なのです。
いらいらしている瞬間は、気持ちで心がいっぱいになり、振り返る余裕はありません。
しかし、時間を置いて振り返ると、大切な学びがたくさん詰まっていることに気づくのです。