何事も新しく学ぶときには、基本から始めるのが王道です。
いきなり高度なことに取り組んでも挫折するだけ。
基本を知らない人は、高度な話が理解できず、応用もできません。
面白いことでも、基本が理解できていないと「つまらない」と感じてしまうでしょう。
時間はかかりますが、基本から1つずつ学んでいくことで、スムーズにレベルアップしていけます。
ところが、基本を学ぼうと本を探すとき、よくありがちなことがあります。
基本を教える本には「猿」「ばか」という言葉が使われていることが少なくありません。
「猿でもわかる入門書」
「ばかでもわかる基本講座」
上品とは言いがたい表現です。
もはや「定番のキーワード」と言ってもいいでしょう。
むしろ下品であり、抵抗の心理が働きます。
「猿でもわかる」という本を手に取ると、自分は猿のように愚かに思えます。
「ばかでもわかる」という本を手に取ると、自分がばかだと認めることになります。
「何だか買いにくいな」と思ってしまいます。
特に見栄やプライドを気にする人は、猿やばかという表現に強いストレスを感じるでしょう。
「自分は猿ではない。ばかでもない!」
自尊心や虚栄心がくすぐられ、ばかや猿という表現が入った本を避けてしまうのです。
しかし、これはもったいないことです。
入門書には「猿」「ばか」という表現がよく使われています。
なぜ入門書にかぎって「猿」「ばか」という表現が含まれているのでしょうか。
もちろん「猿やばかでもわかるくらい簡単ですよ」という意味もありますが、ほかにも別の意味が隠されています。
それは「見栄やプライドを捨てなさい」という意味が込められているのです。
ばかや猿に過剰反応しているうちは、まだ見栄やプライドにこだわっている証拠です。
見栄やプライドにこだわっていては、それが邪魔になって、スムーズに基本を学べません。
「『猿』や『ばか』に過剰反応している人は、まだ謙虚になりきれていない。基本を学ぶ資格はない」
そうした著者からの無言のメッセージであり、警告でもあります。
基本を学びたいと言いながら、心の奥では、まだ見栄やプライドにこだわっている自分に気づくことです。
「猿でもわかる」「ばかでもわかる」という表現を真に受けないことです。
単なる比喩であり、あくまでわかりやすさを強調した表現にすぎません。
あなたの尊厳を傷つけるものではありません。
「それだけわかりやすいのだろう」と普通に受け止めることが大切です。
「猿でもわかる」「ばかでもわかる」という本を避けるのは、基本を学ぶチャンスを捨てることになります。
「猿」や「ばか」が使われた本であっても、基本を学ぶのに適しているなら素直に購入しましょう。
きちんと基本を学ぶから、スムーズにステップアップができます。
見栄やプライドを捨てましょう。
謙虚になって「猿」「ばか」というタイトルが含まれた本を手に取りましょう。
「自分のことを言っているね。私にぴったりの本だね」
「今の自分は猿でもありばかでもあるから、これくらいの本が合っている」
そう思うくらいで、ちょうどいいのです。
「猿」「ばか」という表現が使われていても、本気で基本を学びたいなら、すんなり受け入れられるはずです。
すんなり受け入れられるくらい、素直になることです。
謙虚になるからこそ、きちんと基本を学べるのです。