「未熟者だね」
「まだまだ子どもだね」
「大人になりきれていないね」
人から未熟な部分を指摘され、ばかにされると、誰でもむっとするでしょう。
発言や振る舞いに未熟なところがあれば、精神や考え方に未熟なところもあるでしょう。
何か言い返したくても、指摘が正しいので、言い返せない。
きちんと成熟していたほうが、大人っぽくてかっこいいでしょう。
悔しい気持ちを抱きつつ、自分の未熟を恥じることがあるかもしれません。
できないことや知らないことが多いと、未熟な自分を恥じてしまいます。
特に精神が未熟だと、子ども扱いされやすくなり、自分が恥ずかしくなることもあるでしょう。
しかし、未熟な部分はあっていいのです。
「未熟が悪いこと」というのは先入観です。
もちろんすべて未熟はよくありませんが、少しくらい未熟な部分はあっていい。
むしろ必要です。
すべて成熟してしまうと、完熟したフルーツのように、後は腐るしかありません。
下降線を下る一方です。
外見が悪くなり、異臭が漂い始めます。
すべて成熟していてはつまらないのです。
若々しさを保つためには、何が必要か。
それが未熟なのです。
少しでも未熟な部分があれば、その人は若々しさを保てます。
未熟なところがあるから、人は成長を続けることができます。
向上していく楽しみがあり、成長できる喜びがあります。
未熟なところがあるから「頑張って」と応援されるようになります。
人は、未熟な部分があったほうが謙虚になります。
「何でもできる」と思うより「できないこともある」と思ったほうが、心も柔らかくなります。
未熟な部分は、魅力でもあります。
特別な価値になり、ほかの人とは違った雰囲気を生み出します。
たとえ中年であっても、未熟な部分がある人はすてきです。
見た目は大人にもかかわらず、未熟な部分があると、ギャップがあってセクシーに映ります。
「意外な一面があるね」「不思議な雰囲気ですね」と驚かれるでしょう。
意外なギャップが人を引き付ける魅力になります。
未熟な部分があって大いに結構。
成長が遅れているところがあるなら、逆に成長が早いところもあるはずです。
未熟な部分があっても、少しずつ成熟していけばいいことです。
未熟な部分を恥じるのではありません。
むしろ誇らしく思ってください。
未熟を受け入れましょう。
未熟な自分も好きになりましょう。
未熟とは、あなたの大事な魅力なのです。