一般的に、上司は見えとプライドを持っています。
自分はできる人間だという意識があります。
この見えとプライドを、部下であるあなたが壊しては、関係も一緒に壊れます。
上司が「助けてやろう」と言ってきたときに「いえ、自分でできます」と頑固になるのではありません。
「ありがとうございます」と言って、素直に甘えるほうがいいのです。
上司が偉そうにできるシチュエーションは、見方を変えれば上司を主役にできる瞬間です。
見えとプライドのある上司は、自分が主人公になって偉そうにできる瞬間をいつも探し回っています。
自分が主役になっているときには、満足で心地よく感じています。
またそうさせてくれるあなたに、好印象を持ってくれるようになります。
あなたはすべてを自分の力でやってしまうスーパーマンになるのではありません。
あなたは上司をスーパーマンに仕立て上げるための「脇役」に徹するのです。
名役者ではなく、名脇役になるのです。
脇役は主人公ではないため、1番目立っているわけではありませんが、脇役抜きでは物語は語れません。
往々にして、主役は脇役のおかげで本当に主役になりきることができているのです。
脇役は地味で目立たない役ではありますが、なくてはならない存在なのです。
時代劇『水戸黄門』では、主役は黄門様ですが、助さんや格さんなどの脇役が存在しているから成り立っています。
実際の水戸黄門を見ると明らかですが、主人公の黄門様だけではなく、助さんや格さんの存在もとても印象的です。
それは黄門様の脇役としての仕事をしっかり果たしているから印象的なのです。
「黄門様を守ること」
これが脇役である、助さんと格さんの仕事です。
物語の中では、この仕事をしっかりこなしています。
これ以上ない仕事ぶりであるために見ている私たちは、存在感を抱かずにはいられません。
これは社会の中でも言えることです。
上司の脇役であるあなたは、主役である上司を引き立てるためにしっかり仕事をこなします。
手柄を上司にプレゼントをし、上司の手となり足となるのは、脇役の仕事としては当然のことなのです。
むしろ地味で目立たない仕事ほど、丁寧にこなすことです。
気づく人は、きちんと気づいてくれます。
「これを仕上げた人は誰だ」というとき「上司がやりました」と言っても、見る人が見れば脇役的存在の影響を評価してくれます。
それが、部下であるあなたが評価される瞬間です。
しっかり見てくれる人は見てくれます。
それは脇役らしく脇役の仕事をこなせばこなすほど「目立たず目立つ」ができるのです。
どうすればいいのかわからないときには、時代劇『水戸黄門』を思い出しましょう。
『水戸黄門』をしっかり頭に叩き込んでおくと、これほど社会勉強になることはありません。
『水戸黄門』は、上司と部下の関係を理想的に描いた社会的な時代劇なのです。