小学校のころの嫌な先生は、存在感が強く、ずっと印象深く記憶に残っているものです。
その当時は大変嫌な思いをして、嫌な思い出しか残らないように思います。
ところが時間が経つにつれて、嫌な思い出も自然と懐かしく感じられ、印象深い思い出へと姿を変えます。
嫌な経験は、それだけ心に深く刻み込まれます。
一方、優しいだけの先生は、意外とすぐ忘れ去られます。
優しくて人気のある先生でも、印象が薄いため、時間が経つにつれて忘れられてしまいます。
いい先生が本当にいい先生なのかは、そのときではなく、後になってわかります。
「つらかったけれど、たくさんのことを学べた」と思うことができれば、プラスの経験だったということ。
往々にしてとても勉強になる経験は、つらい経験から得られます。
私は小学校6年生のときに、林先生という女性の先生にひどく叱られた経験がいまだに強く記憶に残っています。
生涯忘れることができないつらく印象深い思い出です。
トラブルの始まりは、私が書いた作文でした。
当時小学6年生だった私は「昔のおもちゃクラブ」というクラブ活動に所属をしていて、班長をしていました。
今のおもちゃではなく、昔のおもちゃをテーマに毎週作っていくという、工作作業が中心のクラブ活動です。
凧揚げで使う凧を作り、運動場で飛ばしたり、自分でコマを作って回してみたりする。
学期末になり、クラブ活動のまとめを作文にして提出することになりました。
当時の私は何を思ったのか、悪口と批判ばかりの内容に仕上げた文章を提出していました。
私は、よい文章だと勘違いしていました。
他人の作品の粗探しをして、批判によって自分の知識と観察力をアピールするという、間違った書き方をしていた。
他人の評価を下げることで、自分の評価を上げるという小学6年生にしてはとても横柄な文章の書き方でした。
悪口と批判の塊であった作文を提出し、私は放課後、誰もいない教室に呼ばれることになります。
先生は、すでに顔を真っ赤にして怒っていました。
偉そうな文章を書き、悪口と批判をつらねた内容に憤慨していたのです。
先生の手は、怒りで震えていました。
そのときの私は、素晴らしい文章を書いていると思い込んでいたため、先生が腹を立てる理由が理解できませんでした。
お説教は、大切なことを言われていても、そのときはなかなか素直に心に入ってこないもの。
案の定、それ以来私は林先生が一番苦手な先生となり、見ることも話すことも嫌になってしまいました。
早く小学校を卒業して、完全に会わないようになりたいと思っていたくらいでした。
林先生は「悪口と批判を連ねた文章をここで認めてしまっては、この子の将来が危うい」と危険を察知していたのでしょう。
私は、小学校のころから文章を書くのが得意でした。
しかし、自分の能力をどう使っていけばいいのかわからず、なんとなく他人を傷つけることに使ってしまっていました。
その危険性を重く感じた先生が、私の将来を思ってひどく叱ってくれたのだと、今になってようやく理解ができます。
何時間も立たされたまま、教室に監禁された状態で、ひどく叱られた経験は、あのときの私には酷で忘れられない思い出です。
この経験がのちの私を大きく変える出来事になります。
ひどく叱られた経験は、貴重です。
時が経つにつれて、どれだけ大切なことを学んでいたのか、次第に理解できるようになります。
他人の悪口や批判は、それだけで文章の評価を大きく落としてしまう内容です。
悪口と批判というだけあり、必ずどこかで気を悪くしてしまう人がいるということです。
誰かの気分を悪くして怒りを買うような文章は嫌われる文章であり、読む人の心を汚してしまう行為。
そもそも今の私の文体は、このときの経験が生かされています。
「悪口や批判だけは書かない。褒め言葉や長所だけに焦点を当てて表現する」
私が文章を書くときに一番気をつけている信条は、この経験が発端です。
人生を大きく変えるほどのお説教を、小学6年生だった私が受けていたのかと思うと、価値のあるお説教に気づくのです。
人生を変えるお説教とは大げさな表現と思うかもしれませんが、実際に私はそれを経験しています。
せっかく文章を書く能力を持っていても、間違った方向に発揮していては、自分の人生を台無しにしてしまいます。
早い時期に、私は批判的文章を厳しくとがめられ、わかりました。
書くという力を「悪口や批判」の方向へ発揮するのではありません。
「褒めることや長所を表現すること」に向けることで、最大限に自分の能力を生かせます。