実家は、兼業農家をやっていました。
兼業農家とは、農業以外の仕事にも従事して収入を得ている農家のことをいいます。
農業をメインとする「第1種兼業農家」と、農業をサブとする「第2種兼業農家」との2種類があります。
祖父が現役で働いていたころは「第1種兼業農家」でしたが、父が就職したころから「第2種兼業農家」に変わりました。
祖父も父も農家に触れていたので、私も幼いころから農業に関わっていました。
育てている果物は、主にミカンが中心でした。
実家の庭は、半分以上がミカン畑です。
もちろん庭だけではなく、山の広大な一面を水口家が所有し、大きなミカンの木がずらりと並んでいました。
どのくらい大きいのかというと、山中を小型モノレールが走っているほどです。
小学校の運動場が3つ分くらいの敷地があり、ミカンいっぱいに詰まったバッグを人の手で持ち運ぶのは非現実です。
そのため、小型モノレールを山中に設置して、ミカンを運んでいました。
しかも、そのミカン畑は山奥にあります。
山奥から山道まで、なんと小型ロープウエーがあり、運んでいました。
祖父が現役のころは、ミカンで収入を立てている「第1種兼業農家」でしたので本格的でした。
ミカンは、水をやっていれば自然に育つと思っている人が多いですが、そう単純ではありません。
商品として売るためには、傷がなく、赤々としたよく熟れたミカンが条件です。
そのために、知られていませんが「摘果」という作業があります。
良質の果実を得るために、余分な果実を、未熟なうちにつみ取ることです。
未熟なミカンを先に摘み取ることで、限られた果実に栄養が行き渡りやすくなり、赤々としたミカンに育つようになります。
「農業」という言葉に違和感があるほど、もはや完全に日常の一部でした。
家の手伝いといえば「畑に向かう」という想像すらあるくらいです。
「家の手伝いをしてくれ」と親から言われると、だいたい「ミカンの消毒」「摘果」「摘み取り」のどれかと決まっていました。
そういう大変な行程を経て、ミカンはようやく育っていきます。
人間も、一人前に育てるまでには親は苦労しますが、ミカンでも同じです。
勝手にミカンが熟れてくれると思えばとんでもない。
ほうっておけば、台風で飛ばされたり、虫に食われたり、未熟のままであったりと、ミカンはどれも努力に苦労を重ねた結果です。
そういう目に見えない努力が、私には見えます。
おそらく私はミカンを食べたときのおいしさを、ほかの人よりおいしく感じているのではないかと思います。
苦労が多い分、味覚が研ぎ澄まされます。
自分が作った料理を食べると、いつもよりおいしく感じるのと同じです。
苦労があるからこそ、味を感じようとする意識が強くなり、おいしく感じます。
苦労が大変である反面、ミカンのおいしさを引き立てる効果があります。
大人になった今、ほかの人より味覚が研ぎ澄まされている感じがします。
そういうとき「自分は農家出身でよかったな」と思うのです。