日本には「以心伝心」という特異な文化があります。
言葉に頼らず、お互いに気持ちが通じ合うという意味です。
日本に限らず、アジア圏内ではそういう文化を持つ地域が少なくありません。
西洋人は、このことを不思議がります。
思ったことを表現する西洋人は、東洋人はなぜ言葉がなくてお互いの気持ちを伝えることができるのかと、首をかしげます。
私はこういうとき、単に「そういう文化だから」と答えています。
人が成長過程でさまざまな性格へと育つように、文化もまたその成長過程の中で、独自の進化を遂げていきます。
どれがいいのか悪いのかという議論ではありません。
「そういうふうに文化が形成された」というだけです。
西洋の文化では「言葉での表現を重んじる」傾向が強いですが、東洋では「態度やしぐさから察する」という文化が強いです。
そんな以心伝心は、年配者ほど得意になります。
たとえば、長年寄り添っている夫婦は言葉を交わさなくても、お互いが何を考えているのかがわかると言います。
テレパシーのようですが、事実、あります。
お互いが深く知り合っているからこそ、できることです。
では、子どもへの愛情表現も以心伝心……と言いたいところですが、どうでしょうか。
たしかに長年連れ添っている夫婦なら、お互いの態度やしぐさなどから相手の気持ちを察することができることでしょう。
連れ添っている時間が長いからこそできることです。
しかし、子どもと親との付き合いは、ほんのまだ数年です。
短い時間しかまだ付き合いがないですから、愛情表現を以心伝心に頼るのはよくありません。
そもそも子どもは、親からの愛情を常に欲している状態です。
こういうときには、ストレートに「愛しているよ」という言葉をかけてあげます。
ストレートでいい。
ストレートほどいい。
夫婦が愛し合い、おなかを痛めて一生懸命に産んだ子どもですから、愛があって当然です。
「愛している」という表現は、恥ずかしいことでもありません。
父親も母親も、どれだけわが子を愛しているかを存分に伝えましょう。
「愛している」という言葉が足りなくて子どもがぐれることはありますが「愛している」と言って子どもがぐれることはありません。