生まれつき、障害を持つ人がいます。
盲目の人は、目が見えないため、生活に不便が生じます。
しかし、目が見えない状態を生かせば、見えない目だからこそ、人生の本質が見えるようになり、生活が豊かになります。
耳が不自由な人は、音が聞こえないため、生活に不便が生じます。
しかし、聞こえない状態を生かせば、聞こえない耳だからこそ、心の声がよく聞こえるようになり、生活が豊かになります。
常識を覆すようですが「見えないから見える。聞こえないから聞こえる」という幸せがあります。
目と耳が不自由だったヘレンケラーは、健常者でさえ難しいハーバード大学を、優秀な成績で卒業しています。
彼女は、一般の人が見えないことが見え、聞こえないことが聞こえ、感じられないことを感じ取っていたのでしょう。
ヘレンケラーは卒業後、身体障害者の援助に一生を尽くしました。
得ていないからこそ、得るものがあるとは、不思議なことです。
しかし、事実です。
生かし方しだいです。
障害は不便でも、不幸だとは限りません。
受け止め方しだい、生かし方しだいです。
不幸かどうかは、自分が決めることであり、障害を生かすかどうかです。
目が見えなければ、生かしましょう。
耳が聞こえなければ、生かしましょう。
生かしたとき、健常者にはできないことができるようになります。
障害すら、あなたに与えられた宝です。
大切なことは、障害を生かすことです。
宝物は「探す」のではなく「すでに自分の中にある」のです。
気づいて、掘り出し、生かすことです。