学校では、お金の話を避けたがります。
お金の話をすると「子どもがお金の話をしちゃいけません」と、叱られます。
どうもお金にはいやらしく、泥臭いイメージを持っている先生たちが多いようです。
お正月にもらうお年玉も「お母さんが預かっておきます」と取り上げられます。
「子どもがこんな大金を持っていちゃいけません」
子どもは、お金を扱う機会が減ってしまいます。
本当は、痛みの小さな子どものころにこそ、お金を持たせてたくさんお金の失敗をさせておかないといけません。
子どものころなら、お金の失敗は、小さくて済みます。
1,000円の失敗は、子どもには大きな失敗に思えますが、大人にはそれほど大きな金額ではありません。
子どものころは、たとえ1,000円でも、大金であるように思えるものです。
小さな金額を大きく感じ、失敗してもやり直しができる若い時期こそお金を持たせ、お金の勉強をさせておかないといけません。
自分でお金を稼ぎ、自分の判断によってお金を使い、痛みも苦しみも楽しみも一緒に勉強する必要があるのです。
残念なことに、学校ではお金の話はしません。
社会の中ではどうお金が流れるのかという表面的な勉強はしても、実際にお金の痛みを味わえる機会は与えてくれません。
自分で勉強するしかないのです。
つい衝動的にお菓子を買いすぎてしまった経験も、1,000円くらいなら、まだ痛みが小さくて済みます。
一度はお金の失敗をして、苦しむ経験をしておいたほうがいいのです。
私が中学生のころ、お年玉で10万円をもらったことがありました。
大金にもかかわらず、両親は「自分で管理しなさい」と言いました。
お金を取り上げることは、一度もありませんでした。
当時は、この意味がわかりませんでした。
「親も子どものお金まで管理するのは面倒なのかな」とくらいにしか、思っていませんでした。
しかし、自分が大人になったとき、あれは親からのお金の教育であったことに気づきます。
自分でお金を持って管理し、使い方を勉強しなさいという親からの教育だったのです。
子どもがお財布をなくしても、親は知らないふりです。
「それは、貴博がいけないのでしょ!」
「落とした本人が悪い」と言って、冷たく接します。
「たしかにそうだな」と私も感じ、子どものころからこうした経験を通して、お金の管理の仕方、扱い方を勉強してきたのでした。
お財布ごと落として、泣きじゃくる経験を一度でもすると、お金に対する考えが変わってきます。
たしかにお財布を落としてしまうことは、痛い経験ですが、何しろ子どものころの話です。
子どものころは、やり直しができるのです。