難しい問題があって、一生懸命答えを考えている人がいます。
「答えは何だろう? どうすればいいのだろう?」と脳をフル回転させています。
なかなか答えが出ない状態が続き、すでに長い時間が経過していています。
それでも諦めないで、ああでもないこうでもないと考え続けています。
もし自分がその答えを知っているなら、親切心から「こうですよ」と教えたくなるかもしれません。
答えを教えてあげれば、喜んでもらえるに違いないと思いがちです。
しかし、そうとは限りません。
ここは注意したいところです。
自分の力で答えを導き出したい様子があるなら、あえて何も声をかけず、そっとしておきましょう。
無視するわけではありません。
優しく見守るのです。
冷たい態度に思われるかもしれませんが、そうではありません。
その人は、自分の力で答えを導き出したいのです。
自分の力で答えを導き出そうと考えているとき、横からぱっと答えを言われると面白くありません。
それこそ余計なお節介であり、ありがた迷惑というもの。
人が成長するのは、一生懸命考えているときです。
ぱっと横から答えを言われると、成長する機会が奪われたことになります。
「どうして答えを言っちゃうのかなあ」「もう少しで答えが出そうだったのに!」とむっとします。
困っている様子があるからといって、助ければいいとは限らないのです。
ああでもないこうでもないという試行錯誤が、人を賢くします。
頑張って考えたからこそ、答えを導き出せたときの喜びや達成感もひとしおです。
本当に困っていて、とにかく早く答えを知りたいというときもあるかもしれません。
答えを知りたいなら、本人から質問してきます。
質問されたとき、丁寧にわかりやすく教えればいいのです。
考えている人に限りません。
大変そうに仕事をしている人、重そうに荷物を運んでいる人、松葉づえをついて階段を歩いている人にも、同じことがいえます。
自分の力で成し遂げようとしているなかで助けることは、本当に親切とはいいません。
優しく見守ることも、親切の1つです。
自分の力で成し遂げようとしているなら、その意思を尊重して、優しく見守るだけにしておくのがベストです。