今日、2003年、8月18日、月曜日。
私は朝、散歩をしていると、道路でハトが死んでいました。
死に方から見ると、どうやら車にひかれたようです。
ハトにはアリが群がっていました。
アリは一生懸命、ハトを食べていました。
私はそこで「この世の定め」を見ました。
ハトは死んでしまいましたが、そのおかげでアリが生きることができています。
ハトは死に、そのハトの命はアリが生きることへと引き継がれています。
命はなくなっていません。
ただ、引き継がれただけです。
ハトの死が、アリの「生きること」に役立っています。
これが世の定めです。
命はあります。
たくさんあります。
人にも、動物にも命はあります。
しかし、命はなくなりません。
引き継がれるのです。
私たちは食べないと生きていけません。
私はときどき肉を食べます。
これはいわば、死がいです。
私は死んだ生き物を食べています。
私に「生きる力」を与えてくれているのです。
「死ぬこと」は、誰かの「生きること」につながっているのです。
命は無駄にはなりません。
命は、次へと引き継がれます。
人は生まれた瞬間から、死へ向かっています。
生まれることは、死ぬことです。
人は必ず、将来死にます。
人類始まって以来、いまだかつて死ななかった人はいません。
私もあなたも、将来必ず死ぬようにできています。
ですがその死は、無駄にはなりません。
人の死は、誰かの「生きる」につながるのです。
人は生まれ、やがて死にますが、形が変わるだけです。
牛は草を食べます。
草は死んでしまいますが、草の命は牛へと引き継がれています。
牛が死に、人が食べ、命が牛から人へと受け継がれます。
命は引き継がれています。
「生まれ変わる」というのは「命」の形は変わらず「宿る固体」が変わるだけです。
それが「この世の定め」です。