あるホテルの広間でパーティーが開かれていました。
入り口にある垂れ幕には「祝賀パーティー」と書かれていました。
立食形式のパーティーで賑やかな雰囲気が漂っています。
大勢の人がいて、みんな嬉しそうな表情です。
「きっと何かの試験に合格したのだろう。先生が企画したのかな。めでたいときはお祝いが大切だよね」
ところが垂れ幕をよく見ると、度肝を抜かれました。
「不合格祝い」と書かれていたのです。
その祝賀パーティーは、合格祝いではなく、不合格祝いだったのです。
明るい表情なのは、合格した喜びではなく、全力を出し切った喜びでした。
不合格であっても、みんな悔いがないので笑顔になっていました。
なんて粋なパーティーなのでしょう。
不合格祝いにもかかわらず、そこには合格祝いと同じ、明るい雰囲気に満ちていたのです。
お祝いをするのは、合格だけと思っていませんか。
いいえ、合格だけではありません。
不合格もお祝いの対象です。
「全力を出し切った」「悔いがない」「次の課題が見つかった」という意味では、不合格もめでたいことです。
「不合格になったおかげで諦めの踏ん切りがつき、気持ちよく別の道に進める」という考え方もあるでしょう。
先入観をなくして「不合格祝い」という考え方を取り入れてみてください。
全力を出し切った結果であれば、不合格も素晴らしい結果です。
結果は不合格であっても、必死に努力して全力を出し切ったのは事実です。
不合格となったとしても、そこに努力と思い出があればいい。
全力を出し切ったなら悔いはありません。
むしろすがすがしい気持ちになれるでしょう。
不合格になっても、また次を頑張ればいいだけです。
充実した日々を過ごしたことで印象深い思い出もできたはずです。
不合格になっても努力をした事実は残ります。
その努力はいつか別の形で実を結ぶに違いありません。
考え方によっては、不合格も悪いことではありません。
不合格になったことで、自分の才能に見切りをつけることができ、潔く方向転換ができます。
人間万事塞翁が馬。
不合格になったおかげで、より自分に合った道を見いだせることもあるはずです。
新しいチャンスをつかむきっかけになることもあるでしょう。
合格祝いがあるなら、不合格祝いもありです。
お祝いの幅が広がって人生がもっと楽しくなります。
合格も素晴らしいですが、不合格も素晴らしい。
きちんと努力した結果であれば、合格・不合格に関係なく、お祝いの対象です。