私は「あの世」へ行ったことがありません。
本やテレビで話を聞いたことはありますが、私は行ったことがないので「わからない」と答えるようにしています。
私の本の中でも「この世」の話はしても「あの世」の話はしないようにしています。
たくさん本を読んだり人の話を聞いたりして、一定のイメージはあり、話すこともできます。
それなりの本も書くことができるでしょう。
しかし、それはあえて触れないように気をつけています。
私の触れるところではありません。
行ったこともなければ、見たこともないからです。
私は死んだことがないので、わからないことは正直に「わからない」と答えますし、そうした話も堂々としないようにしています。
今、テレビや宗教家たちが、あの世について堂々と話しているところを見かけます。
あの世についていったことがあるかのように堂々と話して、説得力のある話し方をします。
私もその話を聞いていると、本当の話のように聞こえ、話に吸い込まれそうなときがあります。
しかし、1つ残念なことがあるため、最後で信じきれないのです。
それは「あの世の話をする人に限って、あの世へ行ったことのない人ばかり」という事実です。
この1つがあるために、せっかくのいい話も「本当だろうか」で終わり、信じきれない。
それらは本当かもしれませんが、嘘かもしれません。
私にはわかりません。
行ったことも見たこともないからです。
せめて話をしている人があの世へ行ったことがあり証拠があるなら、多少なりとも信じることができるでしょう。
しかし、あの世の話をする人にかぎって「あの世の未経験者」です。
もし私があの世について聞かれたら「わかりません」と正直に答えます。
それが結局今のところ、一番近い答えになるからです。
私の祖母は、今はもう亡くなりましたが、生前に一度こんな質問をしたことがあります。
「祖母、死んだらどこに行くの?」
祖母は、笑いながらこう言いました。
「さあ、どこに行くのかな」
私はこの言葉に、ほっとした安心感を覚えています。
この言葉のほうが、正直で説得力があります。
正直に当たり前で、当然の言葉です。
変な話ですが、こんなときに祖母があの世の話を堂々としてくれなくてよかったと思っています。
わからないことを「さあ、わかりません」と正直に答えてくれた祖母は、やはり正直者だと信じることができます。
私が23歳のときに亡くなりました。
あの世に逝った祖母は、今ごろ真実を知っていることでしょう。
しかし、そんな「本当のこと」を知っている人に限って、もうこの世にはいない人なのです。
あの世の話は、わからないのです。