あなたの周りに自分のことを「大物」という人はいませんか。
「私は大物だ」
「自分は大きな影響力を持っている」
「大物とは、私のことを言うのだ」
また、直接「大物」というキーワードが出なくても、大物を意味するニュアンスがあれば、同じと考えます。
たとえば「私を誰だと思っているのだ」というセリフは、自分を大物と思っている発言として考えていいでしょう。
「大物」というキーワードは出ていなくても、自分で自分のことを「大物」と言っているのと同じことになります。
もちろん周りから「大物」と言われるならいいのです。
仕事ができて、実際に結果を出していて、影響力のある人なら、周りの人たちは「あの人は大物だ」と称賛するでしょう。
他者評価は客観的なので、信頼できる情報の1つと言えるでしょう。
しかし、人に言われるならよくても、自分で自分を大物と呼ぶのはよくありません。
もし自分のことを「大物」と言っている人がいれば、確実に1つ言えることがあります。
自分のことを「大物」と言う人に、大物はいないということです。
自分で自分のことを大物と呼ぶのは、大物にふさわしくない態度です。
大きな存在に見られたいため、強く見せようと吠えているだけ。
地位・キャリア・経済力はあるのかもしれませんが、それはあくまで表面的な話です。
たとえ素晴らしいキャリアがあったとしても、そこから油断が生まれます。
いずれ向上心が失われ、スキルも低下して、じわじわ衰退していくでしょう。
もしくは、大きな失敗によって失脚することになる可能性もあります。
積み上げてきた栄光は大きくても、失うのは一瞬です。
その人の仕事術や生き方を参考にするのはいいですが、人間的な振る舞いは真似しないのが正解です。
大物に必要な条件とは何か。
それは「人間性」なのです。
本当に大物であれば、地位・キャリア・経済力だけでなく、必ず人間性も優れています。
人間性は、数字で表せるものではありませんが、本物の大物には欠かせない要素です。
謙虚であり、温和な性格で、思いやりがあります。
言葉遣いはきれいで、礼儀作法もあります。
向上心と好奇心にあふれていて、行動力があります。
心遣いと気遣いがあり、心の器も大きい。
人間性があってこそ、大物と呼べる条件が整います。
自分で自分のことを「大物」と言うのは、横柄である証拠です。
そのため、自分のことを「大物」という人に、大物はいないのです。
もし自分のことを「大物」という人がいれば、注意しておきましょう。
その人は大物ではありません。
大物に見える小物です。