私は生まれつきのくせ毛です。
もともと、私の母方のおばあちゃんがくせ毛だったので、その遺伝ではないかと思います。
気になり始めたのは、中学1年生のころからです。
思春期になると、自分の身なりを気にし始めるようになり、このくせ毛が一番の悩みのタネになりました。
「このくせ毛さえなければ……」
私はいつも悩んでいました。
中学2年生のときに、ある先輩からの話で、髪をストレートに伸ばす「ストレートパーマ」なるものがあることを知ります。
飛びつくようにして、試した記憶があります。
くせ毛の人には、まっすぐ伸びた髪の毛は、強い憧れです。
1回のストレートパーマでは、1万円から2万円ほどします。
中学生の私にとって、安いとはいえない値段です。
当時の私は、それくらいのお金を出してでもいいから、自分のくせ毛を何とかしたかった。
とにかくどうしても何とかしたかった。
自分の生まれつきのくせ毛が、本当に嫌でたまらなかった。
パーマをあてると、たしかにピーンとストレートに伸びてしまいます。
しかし、新しく生えてくる髪は、やはりまたくせ毛です。
ある程度、髪が伸びては、またストレートパーマをあて、伸びてはさらにまたあてるという繰り返しです。
パーマ代は、かなりの出費になっていました。
私がストレートパーマをあてる前の中学1年生のころです。
家族と一緒に、焼き肉屋で夕ご飯を食べていたときのことです。
ふと、焼き肉屋のおじさんから、意外な言葉を言われたことがあります。
「兄ちゃん、すごいくせ毛やなあ。パーマ代が浮くなあ」
その店員さんは、自分の好き好みでパンチパーマをあてていました。
私の髪の毛とそっくりです。
生まれつきパンチパーマをあてているような私のくせ毛を、本当に羨ましがっていました。
私は、そんなことはおかまいなしに「人の気も知らないでよく言うよ。自分はこれに本当に悩まされているんだ」と思っていました。
「節約どころじゃない。ストレートパーマの出費にお金が消えているんだ」
私は、くせ毛を何度恨んだかわかりません。
それから時は経ち、社会人になります。
すると不思議なことが起こります。
自分のくせ毛が気にならなくなり、20代半ばから、ストレートパーマを自然とあてなくなりました。
不思議と思春期が過ぎると、悩みも気にならなくなるものです。
今では、くせ毛を自分の味として生かそうと思い始めました。
変えようと思っても遺伝ですから変えられず、受け入れるしかありません。
社会人になった今、当時の自分を振り返ります。
「パーマ代が浮くなあ」というあの日の言葉に「たしかにそれもそうだな」と今になって思うようになりました。
思春期というのは、自分のちょっとした欠点が、実際以上に大きく見えてしまうものです。
年を取るごとに、不思議と自分のくせ毛が気にならなくなりました。
社会人になって振り返ると、生まれつきの自分のくせ毛は「むしろ得をしているのではないか」と思うようになりました。
くせ毛の人がストレートに憧れストレートパーマをあてるように、ストレートの人はくせ毛に憧れウエーブパーマをあてたりします。
不思議なものですね。
人間は、自分が手にしていることには目を向けず、手にしていないことに憧れを抱くようです。
そのために、無駄な時間やお金をかけてしまいます。
私は手間もなく、ストレートの髪の人が憧れるパーマを無償で手に入れていると思えば、節約になっていることに気づくのです。
「パーマ代が浮くなあ」という、あの日の言葉は、たしかにそのとおりです。
宿命には、逆らえません。
むしろ、その流れに沿って生きるべきだという、あらかじめ決められた道があります。
その道には逆らわず素直に従ったほうが、お金も時間も節約できることを、今になって知るのでした。