もちろん誰も、死にたくないです。
死にたくないから食べる必要があり、食べる必要があるから仕事をします。
しかし、ただ死にたくない理由だけで、人生を生きるのでしょうか。
死にたくないとはいえ、誰でもみんな、最後は死ぬのです。
延命のためだけに生きるのは、生きることはできても、苦しいです。
生きがいのない人生は、つまらないです。
私たちは、子どものころの教育で「我慢はいいこと」と教えられました。
「もう大きくなったんだから我慢しなさい」「我慢できて、偉いね」などと、親や先生などから言われます。
そういうことをよく言われた影響で「そうか。我慢するのはいいことなのか」と思い込みます。
我慢をする場面があると、大人を見せるチャンスだと思います。
「泣くのを我慢するのもいいこと」
「睡眠不足になるのもいいこと」
「無理をするのもいいこと」
そのまま大人になってしまうと「仕事も我慢をしながらするものだ」と思うようになります。
「食べていくために、嫌いな仕事を我慢しながらこなす自分は、偉い」と勘違いするようになります。
「我慢をすることが偉い」という考えがあるため、我慢ができる人間ほど、社会人らしいと思います。
しかし、違うのです。
言い方は悪くなりますが、嫌いな仕事をしている人間は、結局、お金の奴隷です。
お金という主人に「私(お金)が欲しいなら、言うことを聞きなさい」と言われて「はい。何でもやります」の状態です。
お金に人生を、踊らされています。
「お金が欲しい、欲しい」と目の前にある餌のために、体力の限界まで走り続けています。
一応お金は稼げますが、疲れやすくなり、人生に満足できません。
休日だけが、生きがいになってしまうのです。