好きなことをするとき、自分が審判をします。
善しあしは、自分が判断します。
自分の価値観は、他人には理解できないため、自分が判断します。
「自分が決めるなら簡単だね」と思うなら、勘違いです。
逆です。
むしろ、厳しいです。
たとえば、作家を目指す人がいるとします。
普段から、本を読むのが大好きです。
たくさん本を読んで吸収したことを活用して、文章を書きました。
ほかの人に見せると「いいね」と褒めてくれます。
しかし、自分では納得できません。
「まだ表現が乏しい」
「きれいにまとまっていない」
「言いたいことを、言い切れていない」
自分という審判が、なかなかOKを出してくれません。
好きなこととは、自分が最もこだわりを持っていることです。
最もこだわりを持っていることですから、合格ラインも、最も厳しくなるのです。
好きであるほど、合格ラインも厳しくなります。
本当に満足することは、めったにありません。
学校では、あらかじめ正解が存在しています。
回答を見れば、正解がはっきりわかります。
同時に、なぜ間違えたのかがわかり、次からどうすればいいのかも、わかります。
しかし、好きなことの正解は、自分が決めなければいけません。
たいていの場合、満足できないものです。
にもかかわらず、どうすればもっとよくなるのかは、はっきりわからないのです。
どこかにあるのですが、わからないから、苦しいです。
より良い品質を、いつまでも追い求める旅です。
「より良い正解に近づく」というイメージです。
なかなかOKしてくれない自分という審判に、鍛えられるのです。