好きなことにつながるなら、遊びも勉強になります。
名前にとらわれないことです。
「遊び」という名前でも、自分の好きなことにつながることなら、立派な勉強です。
映画監督を目指す人にとって、映画鑑賞は、勉強になります。
漫画家を目指す人にとって、漫画を読むのは、勉強になります。
歌手を目指す人にとって、歌番組を見るのは、勉強になります。
人生を懸命に生きる人にとって、旅行をするのは、見識を広める勉強になります。
遊びが勉強になるのは、最高です。
周りの人は「そんなに遊んでどうするの」と、説教してきます。
「ばかだねえ」
「いよいよ頭がおかしくなったね」
「遊んでばかりで、大丈夫なの」
外野からの声が強くなります。
友人、親、先生など、四方八方から集中砲火を浴びます。
勉強としての遊びなら、無視して大丈夫です。
自分の好きの価値観は、自分にしかわかりません。
他人にわかるわけがないのですから、他人の意見なんて、気にする必要はないのです。
「遊びに見えるかもしれないけど、勉強なんです」と言い返しておけば、OKです。
わかる人は、わかってくれます。
むしろ、たくさん遊んだほうがいいのです。
勉強としての遊びなら「遊び人」という名の勉強家です。
これからは「いかに遊んだか」が、収入の差になる時代です。
遊び人で、ぼける人はいません。
好きなことに接していると、脳は「もっともっと、楽しみたい」と必死になり、頭の回転がよくなります。
心も生き生きしてきます。
周りの人から「よく遊んでいるね」と侮辱されれば、その調子です。
「よく勉強できているね」という証拠なのです。