疲れる原因の1つです。
それは「見返りを求める気持ち」です。
好意や親切をする際、見返りを期待することがあるかもしれません。
「何か恩返しがあるかもしれない」と思ってしまう自分がいる。
時間や労力をかければかけるほど、それだけ大きな見返りを期待してしまうものです。
しかし、見返りを求める気持ちには要注意です。
見返りを求めていると、ストレスに悩まされることになるでしょう。
「いつ見返りがあるのだろう」
「どんな見返りだろうか」
「本当に見返りがあるだろうか」
見返りが気になって、そわそわすることになります。
気持ちが落ち着かず「今か今か」と待ち望む状況になります。
もし見返りがなければ、腹を立てることになります。
「こんなに尽くしたのに!」
「こんなに頑張ったのに!」
「こんなに苦労したのに!」
相手に腹を立て、怒りを覚えます。
恨んで、憎んで、呪ってやろうと考えます。
与えたものを返してほしくなります。
これほど愚かなことはありません。
親切な行為も、見返りを求めている気持ちがあるなら、偽善行為です。
下心があるということです。
見返りを求めて行動すると、自分が苦しむことになります。
見返りを求めるから疲れるのです。
見返りを求めるのはやめましょう。
心がけたいのは「自分が好きでやっている」という意識です。
感謝されなくてもいい。
お礼も「ありがとう」もいらない。
純粋な気持ちになることです。
自分が好きでやっていれば、見返りがなくても、不快になりません。
大切なのは「ギブ&ギブの精神」です。
ひたすら与えることだけに集中します。
与えることだけ考えていれば、見返りがなくても平気です。
いらいらしたり腹を立てたりすることがなくなって、気持ちが楽になります。
挨拶をするとき、見返りは求めません。
「挨拶をしたいからする」という気持ちで挨拶をしましょう。
そうすれば、相手から挨拶が返ってこなくても、いらいらしません。
にこにこしていられます。
相手を助けるときも、見返りは求めません。
「助けたいから助ける」という純粋な気持ちで接しましょう。
そうすれば、素直な気持ちで行動できます。
助けることができれば、純粋に喜べます。
見返りを求めなければ、穏やかな気持ちでいられます。
もし見返りがあれば「ラッキー」と大喜びできます。
期待していなかった分だけ、喜びも大きくなるのです。
「自分が好きでやっている」というポリシーになることです。
もちろん今すぐ見返りを完全になくすのは難しいでしょう。
少しずつなくしていけばいいのです。
見返りを求める気持ちをゼロにすることはできなくても、減らすことならできるはずです。
見返りを持たないで生きると、純粋な心で生きることができ、身も心も軽くなります。
見返りを求めないから疲れないのです。